Vol.1 経済研究所 先端政策分析研究センター(CAPS) 安橋 正人 特定准教授

経済研究所 先端政策分析研究センター(CAPS)
安橋 正人 特定准教授
Ambashi Masahito

京都大学経済学部卒業、同大学大学院経済学研究科修士課程修了、英国・エセックス大学経済学博士。2004 年に経済産業省に入省し、マクロ経済・産業調査、行政改革、資源エネルギー・環境問題、政府経済見通し(内閣府)、東南アジア経済政策などに携わる。海外留学を経て通商交渉や WTO 政策等に従事した後、2015 年よりジャカルタの東アジア・アセアン経済研究センター(ERIA)で 5 年間エコノミストとして勤務。再び経済産業省に戻り、大臣官房グローバル産業室で政策発信に取り組んだ。2021 年に京都大学経済研究所先端政策分析研究センター(CAPS)に着任。その他に、独立行政法人経済産業研究所(RIETI)コンサルティングフェロー、ERIA リサーチフェローも務めている。
主な研究分野、関心領域は応用ミクロ経済学、産業組織、産業政策、イノベーション、アジアの経済開発。
https://researchmap.jp/ambashi_masahito

EBPM への先見の明

安橋先生の経歴は、行政、研究、国際機関と幅広い領域にわたる。そのキャリアをスタートさせた経済産業省に 2004 年以降ずっと所属しながら、学位(Ph.D. in Economics [University of Essex])を取得し研究を続けてきた。「政策の議論をする時に大学の研究者に入ってもらうのですが、自分も勉強をしていないと彼らと議論にならない。もしかすると相手が間違っていることもあるかもしれないので、ちゃんと議論できるようになりたいと思ったのが研究に取り組んできたモチベーションです」。

学術研究の成果を政策に活かす、いわゆる EBPM(Evidence-Based Policy Making、証拠に基づく政策立案)は今でこそ浸透しているが、先生が入省した 2000年代初め頃はほとんど注目されていなかったという。「当時思い描いていた方向に現在進んできていて、それほど間違ってはいなかったのかな、と思っています」と話す安橋先生。英国・エセックス大学での留学中は、競争とイノベーションの理論と実証研究に集中した。

国際機関でのプロジェクト

2015 年にジャカルタに渡り、東アジア・アセアン経済研究センター(Economic Research Institute for ASEAN and East Asia, ERIA)のエコノミストとして 5 年間勤務。その後も継続して国際的な研究プロジェクトに関わり続けている。日本からの提案に基づき 2007 年に設立された国際機関である ERIA は、ASEAN 及び東アジア地域の発展と統合に資する政策研究を担う、OECD のような機関だ。

2022年9月にERIAから出版された『The Comprehensive Asia Development Plan 3.0 (CADP 3.0): Towards Integrated, Innovative, Inclusive, and Sustainable Economy(包括的なアジアの発展計画 3.0:統合され、革新的でインクルーシブな、持続可 能な経済に向けて)』には、コロナ禍にあっても情報 通信技術を味方に成長を続けた東アジア・東南アジア 経済が、社会課題解決、イノベーション、持続可能性 などを実現しながら発展するための、さまざまな提言 が書かれている。約 20 名の執筆者によって編まれた 本書のなかで、安橋先生は東南アジアのインフラ開発 に関する章を担当している。

『The Comprehensive Asia Development Plan 3.0 (CADP 3.0): Towards Integrated, Innovative, Inclusive, and Sustainable Economy』

2010 年に発行された第1版(『The Comprehensive Asia Development Plan1.0』)、2015 年の第2版(『The Comprehensive Asia Development Plan 2.0:Infrastructure for Connectivity and Innovation』)同様、500 ページを超える本書は全て、世界中どこからでもインターネットでダウンロード可能、つまりオープンアクセスになっている。アジア地域の経済発展だけでなく、世界の読者を視野に入れながら学術的に寄与することも目的としている。

その他にも、生産性やイノベーションに関する理論・実証分析、国際開発問題、東南アジア地域の経済ショックなど、先生の守備範囲は非常に広く、研究成果の多くは上述書と同様にアクセスできる(https://researchmap.jp/ambashi_masahito)。
「ポートフォリオ(研究の守備範囲)を少し広げすぎてしまっているので、時間がいくらあっても足りない状況になってしまっています」と話す安橋先生。いま進めている、あるいはこれから取り組むのはどんな研究なのだろうか。

社会変革の経済学的検証

いま、安橋先生の研究の中心には「社会の変革はどう起こってくるのか」という問いがある。

まずイノベーションについて言えば、新たな挑戦が生まれる背景には政府の支援もあるが、主体となる企業はどういうインセンティブによって新しいことに取り組むのか。その要素の一つである CSR(企業の社会的責任)について、CSR の取り組みが社会にとっていいだけでなく、企業自身や市場にとってどういう影響があるのかを、データを使って明らかにする研究に取り組んでいる。

社会変革を担うもう一つのアクターとして、大学にも注目している。大学の研究生産活動や人材育成などのアウトプットが、マーケットメカニズムや政府の介入などとどういった相互作用のもとに生み出されているのか。大学が果たすイノベーションへの役割を経済学的に考察する。

社会変革への関心からアントレプレナーシップ(起業家としての行動能力)も、最近はテーマとすることを考えている。「企業だけを研究対象とすると人が見えなくなるので、人にアプローチしたいと考えたのです」。例えばどういう人がアントレプレナーに向いているのかは、経済学や経営学といった切り口だけでなく、社会心理、文化、ジェンダー、雇用慣行など、さまざまな要素が関係すると考えられる。

またエンジニア、特に女性のエンジニアがどのように社会や経済を変えてきたのか、日本の高専(高等専門学校)という特殊なシステムの役割も視野に入れつつ、連携する研究者と議論を始めている。

「イノベーションや社会変革について、企業、社会、人、をそれぞれみるということをしていきたい。それをダイナミックに社会状況が変化している日本と東南アジアの両方で実証してみたいと考えています」。これまでやってきた理論研究をもとに経済学だけでなく、経営学、行動経済学、社会実験など、どんな切り口が可能か、日々悩みながら多角的に検討を進めているという。

学術と政策の往還

ご自身はポートフォリオ、研究の守備範囲を広げすぎていると言われるが、大学で行われる研究だけではなく、政策関係者がどのような目的意識を持っているか、国際的な現状と課題認識など、広い視野からそれらを織り交ぜて語れるところが先生の強みではないだろうか。

ピュア・アカデミクス、つまり基礎理論研究へ深い関心を持ちながら、その発展に寄与するためにどう研究を磨き世に問うていくのか。また経済政策における課題はたくさんあるなか、どう研究に落とし込み、そしてその成果を政策や社会に還元していくのか。政策のフロントを知る立場として自身に期待される役割を自覚している。そのことは先生の「言いっぱなしの政策、あるいは政策への言いっぱなしはよくないと思うんですよ」という言葉によく表れている。学術と政策、どちらも広大な地平を往還する、安橋先生の誠実な姿勢がインタビューから強く伝わってきた。

(2023年2月 構成:藤川 二葉)