Vol.3 京都大学文学部陳列館(文学部博物館)施設訪問(案内:水野 一晴 教授)

京都大学文学部陳列館(文学部博物館)

京都大学では明治30(1897)年の創設当初から、十全な研究・教育活動を行うための拠点として学術標本を収蔵・管理する組織が必要であると考えられ、大学博物館構想と一次資料の収集が進められていた。明治40(1907)年、文科大学(のちの文学部)史学科の開設により国史学・地理学・考古学の資料収集が活発になり、大正3(1914)年には文学部陳列館の最初の建物が竣工。以後3次にわたる増築により全館が完成するも、老朽化や狭隘化は避けられず、平成9(1997)年、京都大学総合博物館に移管された。翌平成10(1998)年9月、登録有形文化財に指定。

水野 一晴 教授
Mizuno Kazuharu

1958年愛知県生まれ。名古屋大学文学部史学科地理学専攻卒業、北海道大学大学院環境科学研究科環境構造学専攻修士課程修了、東京都立大学大学院理学研究科地理学専攻博士課程修了。京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科アフリカ地域研究専攻准教授を経て、同大学大学院文学研究科地理学専修教授。専門は自然地理学、植生地理学、アフリカ地域研究。主な著書に、『高山植物と「お花畑」の科学』(古今書院)、『神秘の大地、アルナチャル』(昭和堂、2014年度日本地理学会賞「優秀著作部門」受賞)ほか多数。

みなさんは、京都大学総合博物館に隣接した登録有形文化財の建物をご存じでしょうか?大正3(1914)年に南半分が竣工、以後3次の増築を繰り返し、完成まで15年の歳月を要したというその建物の名は「京都大学文学部陳列館(文学部博物館)」。現存するのは一部のみですが、京都帝国大学拡張期の代表的建築の一つとして知られ、構内でも時間の蓄積を感じさせる特異な存在感を放っています。

今回は、その歴史に詳しい文学研究科の水野一晴教授(地理学専修)に、建物のことから、かつてそこにあった貴重な資料群のことまで、先生のご専門である地理学関係を中心にご案内いただきました。

建物がL字型である理由

見学当日、水野先生と建物の入口で待ち合わせをし、いざ文学部陳列館(文学部博物館)(以下、陳列館)の中へ潜入!と思いきや、まず案内されたのは建物の外周でした。

「この建物は本来、ロの字型だったのですが、隣の京都大学総合博物館(以下、博物館)を建てるときにスペースが必要だということで、一部取り壊しになっています。保存されたのは南側正面と東側の2面のみ。結果として、現在ではご覧のとおりL字型になっています」

裏手に回り、陳列館と博物館の間に挟まれた小さな庭――古墳時代の石棺が無造作に野外展示されている――を眺めつつ歩いていると、たしかに裏側の壁が切断されて途切れているのがわかります。この状態で建物の中の厖大(ぼうだい)な資料はいずこへ……と思っていると、水野先生からすかさず補足が。

「陳列館はもともと1914年に煉瓦造の南半分が竣工し、23年には東側中央部が、25年には東側北半が建設され、29年に鉄筋コンクリート造の北西部分が完成しました。収蔵された資料は史学科の各講座と美学美術史学の文化史関係資料などです。そして 1959年には『文学部博物館』と改称されたわけですが、狭隘化や老朽化は解消されず、97年に新館(博物館)に移管され、翌年98年に登録有形文化財に指定されています。

内部に収蔵されていた資料はどこへいったかというと、2001年に博物館が開館した際、そちらに移されました。ですから、この陳列館の中にはもう多くは残されていないのですよ。よければこの足で博物館へ移動して、地理学関係の資料を中心に、どういったものが移されたのかをご覧いただければと思います」

《舟形石棺》八幡茶臼山古墳出土、古墳時代前期(4世紀)

資料群が物語る大学と地理の歴史

先生にご案内いただくまま早々に陳列館をあとにして、まずは博物館の資料を拝見することに。向かったのは博物館の3階にある「地図・民族資料研究展示室」。通常は非公開で、めったに人が出入りすることはないそうですが、地理学専修の新入生の学生さんやオープンキャンパスの参加者には毎年見学ツアーをされているといいます。

エレベーターを降りて、薄暗い廊下のなかで目を凝らすと、すぐ右手に目的の展示室がありました。展示室の重い扉を開けると、眼前には外からでは想像もつかないような異空間が広がります。

「京都大学の地理学教室は日本最古でして、明治40(1907)年に、日本の大学に初めて開設された地理学教室なのですよ。ここに保管されているのは、昔から使ってきた測量や気象観測に用いる道具であったり、戦前に研究者らが世界中から集めてきた民族資料であったりと、とにかくいろんなものがあります。

地理学教室の初代教授は、日本人初のノーベル賞受賞者として有名な湯川秀樹先生の実父にあたる小川琢治先生です。ここにある銅板レリーフの人物がまさにそう。『理学博士小川琢治君』と書かれていますね。この先生は、もとは農商務省地質調査所(現・産業技術総合研究所地質調査総合センター)で技手をされていたのですが、退官後は京都帝国大学文科大学教授に就任されて、しばらく地理学の講座を担当されていたそうです。のちに理学部地質学鉱物学科が開設されると、そちらに移られて初代教授となられています。余談ですが、京大の地理学専修では人文地理がメインとされていますが、わたしが赴任したときに京大文学部地理出身でない教員は、この先生とわたしだけでした(笑)」

小川琢治博士のレリーフ
地図・民族資料研究展示室の内部

水野先生の解説をお聞きしながらさらに奥へと進むと、お話にあったような古い測量機器や民族学博物館で目にするような資料が次々と目に飛び込んできます。

展示されたさまざまな民族資料

「京大にはずっと――唯一僕だけは自然地理をやっていますが――人文地理が専門の教員しかいなかったのですが、こういう道具を見ていると、人文地理でも昔は測量をやっていたのだということがわかりますね。今では100パーセント使いませんから。昔の人文地理の研究者がなぜ自然地理のようなことをやっていたかというと、じつはそれには、おそらく少し戦争も絡んでいて。このあと4階にある地図室に移動して改めてご案内できればと思いますが、大日本帝国が植民地化に乗り出した際、軍部からの要請を受けるなどして現地の地図を作製したり、それに伴い、いろいろな民族資料を収集したりしていた、ということが考えられます。どういういきさつでここにある資料が収集されてきたのかは、正確にはわからないのですが」

そういわれて改めて展示室を見渡すと、たしかに植民地化とも関係の深い南洋諸島界隈の文化を思わせる資料が多いことがわかります。

先生の左手に見えるのが、ポリネシアで長距離航海を実現したとされる船の模型

「この船の模型も南洋諸島あたりのものだと思いますが、波を受けて沈まないように両脇に肩(浮き)があるタイプですね。姿勢を保ったまま長距離を航海できるよう設計されている。この船で太平洋を横断して、どんどん人々が外に移住していったわけです。だからポリネシアは、ハワイやニュージーランドの先住民族とか、タヒチとか、僕も少し研究している地域なのですが、言語がみなかなり似ているのですよ。驚くべきことに、その同一性はマダガスカルにもいえることで、相当広域な言語として存在している。なぜそれほど広域に拡がったのかというと、原因はやはり船ですね。車も鉄道もない時代ですが、この模型からもわかるように、人と食糧をたくさん積んで、長期にわたって航海しながら各地に移動していったわけです」

現在の人文地理では、このような民族資料が収集されることは減ってきたそうですが、自然地理がご専門で人類学にも関心があるという水野先生は、今でも各地でさまざまなものを収集されているのだとか。

「フィールドはアフリカがメインなので、そのあたりのものも当然ありますが、インドと中国の国境紛争地域のアルナーチャル・プラデーシュ州という、国際的にはインドの領土なのですが、チベット系の人々が住んでいる場所で、そこではかなりいろいろなものを収集しました。重たいものでも授業のためにと思い持ち帰ってきたのです。驚くほど緻密な彫刻が施された巨大な印鑑とか、悪霊を退治するためのプルパという道具とか(笑)。自宅に保管していて、毎回授業のために持ってきていましたね」

地図に刻まれた戦争の記憶

「地図・民族資料研究展示室」をあとにして、次に向かったのは博物館4階にある「地図室」。もとは現状の2倍のスペースがあったといいますが、現在では半分に区切られ、片方が地図室として使用されています。さっそく中に案内していただくと、部屋には所狭しと地形図を保管するキャビネットが並べられています。

「ここには、日本各地の地形図が古いものから最新のものまで、全部あるのですよ。学生たちが地域を研究する際、どういう風に当該地域の土地利用が変わってきたかとか、地形図を見ればすべてがわかりますからね。収集開始の年代は場所によってさまざまですが、例えばこの岡山の地形図のなかで最も古いものを見てみると、明治28年と書かれています。古地図となると、それはまた別の部屋にまとめて保管されているのですが。

地図室にて。岡山の古い地形図を探す先生

もう一つ、京都大学ならではの収蔵物としてご紹介したいのが『外邦図』。これは要するに、戦前に旧陸軍参謀本部陸地測量部(現・国土地理院)が主に軍事目的で作成した満州や中国、東南アジアなどの地図のことです。植民地化を進めるためにまず必要なのは、地図を作ることですからね。戦争にも地図は絶対に必要とされます。実際、終戦後すぐに米軍は日本全国の航空写真・空中写真を撮影しました。そしてそれが日本全域を撮影した最も古い空中写真であることから、僕らもよく米軍の空中写真を研究に用いたりしています」

キャビネットの引き出しを開けて地図をめくっていると、次々とアジア地域の外邦図や空中写真が出てきます。目に留まったのは「ツリンコマリ市街図(※トリンコマリー:スリランカ北東部の港湾都市)」や「パラオ列島」と書かれた地図。端に目をやると「軍事秘密(戦地ニ在リテハ「部外秘」トス)」「用済後焼却ス」といった文字が……。地図とは、まさに国土をめぐる支配-被支配の歴史の痕跡そのものであった、ともいえるのかもしれません。

地図右上に「ツリンコマリ市街図」の文字が見える
軍事機密(戦地ニ在リテハ「部外秘」トス)」と書かれた地図

現在、約1.9万枚の外邦図を所蔵する国会図書館によると、外邦図は本来、終戦直後に連合国軍によって処分されるはずだったとのこと。しかし、その資料的価値を認識していた学者らの手により各大学に渡ったという経緯から、現在では大学での所蔵が多くなっているのだとか(国内の主な所蔵機関は京都大学のほか、お茶の水女子大学、大阪大学、東北大学、岐阜県図書館など)。

次に、空中写真が収められたキャビネットのほうをのぞいていると、水野先生から、知っているようで知らない、空中写真にまつわる興味深いお話を聞くことができました。

「ご存じかどうかわからないのですが、空中写真というのは、僕ら自然地理学の研究者にとっても非常に重要なものなのですが、これは1枚では何の役にも立たないのですよ。以前、僕の学生で、セネガルから――重なる部分は不要だと考えて――1個飛ばしで空中写真を買ってきた人がいましたが、それではまったく意味がない(笑)。空中写真は隣同士2枚の、その重なった部分を立体鏡を用いて見ることで、はじめて立体視できる仕組みになっていますから。それに、あの『2万5000分の1』の地形図は、測量して作られていると思っている人が多いようなのですが、一切測量はしていません。全部、この空中写真を判読することで作られているのです。だから、これが立体視できないと等高線が書けないわけですよ。昔は実際に測量していたのですが、今は違います」

空中写真の一例

地図はわたしたちにとって身近なようでありながら、意外と知らないことが多いということがわかります。それにしても、これまでのお話で自然地理、人文地理という言葉が出てきましたが、地理学とはそもそもどういったことを探究する学問なのでしょうか。水野先生に思い切って聞いてみました。

「地理学はとても広い学問で、僕がやっている自然地理学では、主に地形や気候、植生などを調べますし、いっぽう人文地理学となると、歴史や経済地理、農業地理、山村地理、交通地理などいろいろあります。観光地理学などもあって、最近の学生をみていると、アニメの舞台になった地域を扱うということも。究極、今では地域が関係していさえすれば地理になる、ともいえるかもしれません」

陳列館が研究室に

地理学の懐の広さと奥深さに感銘を受けながら博物館をあとにすると、最後に、陳列館の内部をご案内いただきました。中に足を踏み入れると、そこには外観と同じ緑と白の2トーンを基調にした優しい色合いの空間が広がります。全体にはネオ・バロック、細部装飾にはセセッション式(ウィーン分離派)の意匠が見られるとされ、当時の京都帝国大学営繕課(えいぜんか)の山本治兵衛が設計を主導、それに同所属の建築家、永瀬狂三と武田五一も加わったといいます。

陳列館内部の様子。左手にあるのは美学の資料
会議室も天井が高く、天井の照明部分には細やかな植物の装飾が施された美しい模様が見える

現在は研究室や会議室、演習室、資料室などとして使用されており、歴史系を中心として、考古学と日本史の先生方の研究室はすべて陳列館に集められています。そして地理学からは唯一、水野先生だけがここに研究室をお持ちとのことで、さっそくご案内いただくことに。

「もとは博物館だったので、教員の部屋はなかったわけです。だから改築する際、もったいないことをしたとは思いますが、大きな部屋に壁を立てて2つに分割したのです。その証拠に、僕の研究室の天井を見ていただくと、壁が後付けされているのがわかりますよね。ところで、僕は3月末にここを離れるので、それまでにここにある大量の本を整理しないといけません」

先生の研究室にて。天井をよく見ると、壁で部屋が二分割されているのがわかる

そう、水野先生は 2023年3月末をもって退職される予定なのです。先生がいらっしゃるうちにお話をお聞きできて本当によかった、と思っていると、最後に出版社から見本が届いたばかりという新刊をご紹介いただきました。

タイトルは『地理学者、発見と出会いを求めて世界を行く!』(ちくま文庫、2023年)。既刊の単行本『ひとりぼっちの海外調査』(文芸社、2005年)を改題、増補改訂したものということで、このたびめでたく文庫化に。版元の紹介文は次のとおり――

「1人っきりのキリマンジャロ最高峰、ペルー悪徳警官の罠、エチオピアの極寒の山で出会った人の温かさ、ドイツ留学生活……地理学者である著者が、アフリカ、南米、ヨーロッパなど世界各地の自然・文化を解説し、さまざまなトラブルや人々との印象的な出会いを綴る悪戦苦闘の調査旅行記」。

今回は陳列館と地理学関係資料がメインでしたが、次こそは先生がおられるうちに、冒険譚さながらに違いない研究のお話を伺わねば!と心に決めて研究室をあとにしたのでした。

みなさんも、京都大学本部構内にお立ち寄りの際には、ぜひ陳列館に目を留めてみてください。内部は一般公開されていませんが、外からご覧いただくだけでも、ここではご紹介できていない、何か新しい発見が待ち受けているかもしれません。

(2023年3月 構成:水野 良美)