柳 淳也『揺さぶる経営学:LGBTQから問い直す企業の生産性』

柳 淳也『揺さぶる経営学:LGBTQから問い直す企業の生産性』

著者:柳 淳也
京都大学経営管理大学院特定助教

出版社:中央経済社
発行年月日:2023年3月30日

https://www.biz-book.jp/isbn/978-4-502-45701-2

書籍紹介

揺れているのはわたし、揺らしているのもわたし。
一緒に揺れてほしいし、一緒に揺らしてほしい。

「まえがき」より

誰に届けたいだろうか。果たして届くだろうか。

本書を執筆しているなかで、自身に何度も問いかけた。

わかりやすく書くことへの戸惑いと、そもそもわかってもらえる文章が書けない自分自身への苛立ちと、わかられてたまるかという気持ちがそこかしこにあって、収拾がつかなかった。

本書は、広義のクリティカル・マネジメント研究についての本である。クリティカル・マネジメント研究を簡単に説明すると、家父長制や植民地主義的構造としばしば結託している経営学を、内側から批判する学問領域である。(詳しくは第Ⅱ章を読んでいただきたい。)

わたしは現在、経営学という領域で、大学の教員として研究・教育活動を行っている。経営学を内側から批判するということは、わたしのように経営学に何らかの形で携わりながら、あるいは経営学という学問の営みに一定の敬意を払いつつ、よりよくしていこうと試みることでもある。

こうした立場に対して、「経営学の内側からではなく、外側から批判するべきではないか」と批判する声もあるだろう。何を内側だとみなし、何を外側だとみなすのかという境界は難しいが、こうした批判それ自体はもっともなことだ。経営学の恩恵をなるべく受けず、外側から経営学がもたらした弊害を批判することは極めて重要なことだし、すでにやっている人がいたら続けていくべきことだ。

でも、わたしはすでに経営学の内側にいる。わたしだけではない。わたしたちはみんな、残念なことに多かれ少なかれ経営の世界の内部で生きてしまっている。個人主義的で、生産性を重視し、異性愛男性が働きやすいような環境でビジネスは回っている。

大学教員も例外ではない。不安定な雇用状況や論文投稿のプレッシャーなどに晒され、より生産的であり続けなければ、大学からたちまち弾かれてしまうだろう。こうした世界に日々ため息をつきながら、それでも、なんとかしがみついている。しがみつきながら、そうやってもし自分が今後も生きていけたら、いつの日か誰か困難な状況に直面している人に対して「あなたが、もっとがんばればよかったんじゃない?」と言ってしまいそうで怖い。歪な構造のなかで生き延びた結果、自分が非批判的(非クリティカル)な存在に変わっていくことを恐れている。

だから本書は、他者と共に生きることを諦めようとしてしまっているかもしれない将来の自分自身を戒めるためのものでもある。そのためにも序章や第Ⅰ章では、経営学内部での自身の現時点までの葛藤をオートエスノグラフィーで記述している。わたしの記憶の断片をたよりに、研究の旅路のはじまりをよければ共に過ごしてほしい。

わたしは経営学の外側に身をおいてそこから批判ができるほど強くはないから、内側から少しずつ揺らしていきたいと思っている。それに経営学の内部にいるからといって批判できないわけでも、していけないわけでもないのだ。

この本は、経営学によって苦しんでいる人や経営学をよりよくしたいと思っている人のためにある。同性同士はいまだに法的な婚姻関係が結べない。トランスジェンダー、在日コリアンや在日外国人に対するヘイト発言は増殖を続けている。選択的夫婦別姓さえもまだ叶わない。イノベーションや企業の社会的責任が叫ばれ、科学技術はこんなに進んでいるはずなのに、わたしたちはせっせと朝から深夜まで働き、ユートピアを夢見る暇さえない。

こうした社会の課題に対して経営学は何ができるだろうか。経営学はむしろ多くの場合、問題を複雑に増幅させてきたのではないだろうか。本書はこうした問いに対して直接的に答えを提供するものではない。それでもまず、経営学をマイノリティの〈わたしたち〉のものでもあるということを伝えたいと思っている。経営学は特定の人がお金儲けを効率的に行うためのものではないし、そのためには経営学者や経営学に関心のあるあらゆる人々の認識を揺さぶる必要がある。第Ⅲ章と第Ⅳ章では、著者の認識論的・政治的・思想的前提の差異によって書き分けることで、論文の内容が大きく変わりうることを示している。

わたしが本書で示そうと試みているのは、経営学の知も、誰かが排除されないようにする手助けができる可能性があるということだ。ベル・フックスは『フェミニズムはみんなのもの』だと言った。経営学が、マイノリティの〈わたしたち〉をも含めたみんなのものになるとわたしは信じている。

揺れているのはわたしたち、揺らしているのもわたしたち。
一緒に揺れてほしいし、一緒に揺らしてほしい。

京都大学経営管理大学院特定助教
柳 淳也