沈 恬恬『介入の技法――課税要件論再考』

沈 恬恬『介入の技法――課税要件論再考』

著者:沈 恬恬
東京大学社会科学研究所・日本学術振興会特別研究員PD

2022年京都大学法学研究科法政理論博士後期課程修了

出版社:成文堂
発行年月日:2023年3月25日

http://www.seibundoh.co.jp/pub/search/038818.html

書籍紹介

本書のベースとなる博士論文原稿のほとんどは、コロナ禍による「緊急事態」の時期に書いた。人文科学の分野に在籍していた頃から、ドイツの思想家のヴァルター・ベンヤミンの「フラヌール」性に途轍もなく憧れている筆者は、意図的に学問世界の「遊歩者」になろうとしてきた。ところが、ぶらぶらして、ようやく、社会科学の領域までたどり着いたのに、ある日、私たちの生きる社会にとって、外出することは「不要不急」なものとなった。置かれた状況への苛立ちに入り混じった戸惑いが、やがて、学際的研究の学術論文において、果たして、何を、どのように、書くべきなのかという内省的な問いとして浮上した。また、この問いは、本書の全体を貫くテーマとなった。

上記のテーマを実践するために、筆者は、本書のなかで、通常の法学研究の作法からすれば、多くの文学的な「不要不急」の記述を散らばしてみた。それは、本来なら文学と法学のそれぞれの「門外不出」の品たち(方法論や概念など)にまつわる個々の伝説にある内的関係を、筆者の翻訳作業(再解釈)を通じて、ひとつの真新しい連鎖的な言説世界として浮かび上がらせるための戦術であった。きっと、私たちの社会が人為的に作り出された「不要不急」の境界線によって分断されたその前にもその後にも、その根底にへばりついている「混沌たる具体性」というものだけは一度も割り切れないだろう。これらの混沌と雑沓に寄り添い、そこから聞こえてくる無数のざわめきをどう受け止めていくのかを思索することが、研究対象である社会ないしテキストへの介入行為の第一歩を踏み出すことになるかもしれない。また、研究対象は、私たちの外部にあるのではなく、私たちの内部にある。私たちは社会ないしテキストのなかへ介入して行けば行くほど、ますますそれらのなかに取り込まれていく。このような状況を明らかにすることが、学際的研究ではないだろうか、というふうに、考えては書き、書いては考え直し、筆者は「門外不出」の品たちを見つめながら、「不要不急」の日々を過ごしていた。

ゆえに、本書を、社会科学の租税法学研究の中心とされる「課税要件」についての解釈書として理解するより、むしろ、人文科学の文学研究の前提となる「一連の出来事」を記したひとつの物語として眺めるほうがいい。つまるところ、「課税要件論」のなかで規定された法律概念(納税義務者、課税物件、課税物件の帰属、課税標準、税率)や、それらに関連する法学に用いられた分類法などのすべては、身近な経済社会のなかで日々に起きている出来事のなかにある。たとえば、本書のなかで、筆者は、以下のようないくつかの情景を書き留めようとした。

―あれ、中国人は本当に金持ちになって日本の土地を買い漁っている?住宅ローン管理費火災保険固定資産税ぇ~!

―ねえねえ、聞いて、年金がまた減ってぇ、どう暮らせばいいのよ。『老後の資金がありません!』(映画のタイトルをもじって)

―えっ、消費税はもっとあがる?この間、マイナンバーカードの申請でポイント還元してもらったわ。ところで、いつまでやるのか米中貿易戦。

―ま、それはどうでもいいけれど、連休明け憂鬱をマジ感じちゃってさ、hey Siriを言うのも面倒くさくて、ほら、最近Youtubeで流行っている「デジタル・ヒューマン」はどこかで発注できないのか?

まるで寄せては返す波のように、これらの情景からいろんな人々の声が聞こえたかと思いきや、いつの間にか消えていった。波は浜辺に自らの痕跡を残さない。しかし、海ほど多くの文学のテキストにより語られた始まりの風景はないのと同じように、研究者は、かつてあった波の軌跡を追認するという術しか持たない。問題は、ある動態においてのみ発見されうるその軌跡を、ひとつの言語学の記号論的静態(例えば、シニフィエとシニフィアンの囲い)として再設定しようとすると、おそらくこの欲望は満たされないという結末を迎えることだろう。なぜなら、追認することとは、離散性を抱え込みながら非線形的な往復運動することを意味するからである。出来事も決して法学上のれっきとした単純な論点に還元されない。要するに、論点の確保とともに、別の出来事を形成するための伏線も少しずつ、研究者の手によって、すでに張られていくのだ。

にもかかわらず、確たる結論、あるいは、未来像を提示することは、研究者に求められているもっとも基本的な責任である。本書のなかでは、今後の法学的な課税要件論のあるべき「要件」についての明確な定義を示さなかった。だが、「不要不急」の出来事に潜む法的論点を追認し、この追認のプロセスをひとつの文学的メタファー像で差し出すことを通じて、技術革新時代における人間の主観性(客体性)と法の客観性(主体性)の回帰的関係を説明できたと思う。このような関係を生きていることを認識してはじめて、これまでの法学上の論点の並び方および日常生活の出来事の因果論が変化していることに気づくことができ、私たちの社会の新たな物語を書いていける気がしている。

東京大学社会科学研究所・日本学術振興会特別研究員PD
沈 恬恬