江端 希之『躍動する聖地―マダガスカル・イメリナ地方におけるドゥアニ信仰の生成と発展』

江端 希之『躍動する聖地―マダガスカル・イメリナ地方におけるドゥアニ信仰の生成と発展』

著者:江端 希之

和布刈神社 祭儀部 権禰宜
京都大学アフリカ地域研究資料センター特任助教

出版社:春風社
発行年月日:2023年3月19日

http://www.shumpu.com/portfolio/937/

書籍紹介

筆者とマダガスカルの「出会い」:マダガスカルに神社の幻影を求めて

「マダガスカル」と聞いて、皆さんは何を思い浮かべるでしょうか?ワオキツネザルやバオバブの木のようなユニークな動植物でしょうか。あるいは、テレビ番組でも取り上げられたことのある、二次葬のお祭りファマディハナ(famadihana)でしょうか。また、歴史に詳しい人なら、マダガスカルで日本兵が戦没した、第二次世界大戦の「マダガスカルの戦い」を思い浮かべる人もいるかもしれません。しかし、私のマダガスカルへの入口は、私が追い求めてきた多神教への予感、そして神社の幻影を、マダガスカルの聖地に見たことだったのです。

宗教専門新聞「中外日報」の記者として、また神社の神職としても勤務していた私は、あるとき思い立って京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科アフリカ地域研究専攻に入学し、アフリカ研究の世界に足を踏み入れました。この大学院は、アフリカに長期間滞在してフィールドワークを行なうことを特徴とするところでした。そこで、調査対象国を決めるために様々な資料に目を通していた私は、「千木」のような意匠を持つ、まるで日本の神社のような姿をしたマダガスカルの聖地の写真を目にしたのです。「なぜ遠くアフリカの島国に、日本の神社のような雰囲気の聖地が存在するのだろうか」「この聖地は如何なる場所で、どのような信仰があるのか」私は初めて見るマダガスカルの聖地に、とても惹かれたのです。これが、私とマダガスカルとの出会いでした。

それでは、かつて私がマダガスカルの聖地に見た神社の幻影は、果たしてただの「まぼろし」に過ぎなかったのでしょうか?それから8年以上が経ち、大学院で博士号を取得し、マダガスカルの聖地に関する知見を積み重ねた現在、その答えは両義的なものとなりました。確かにマダガスカルの聖地は、日本の神社や沖縄の御嶽と似たところもあり、比較検討に値します。しかし、今この瞬間も生成・発展を続け、増殖し続けているマダガスカルの聖地は、「躍動感」の点で日本の聖地とは大きく異なるのです。

日本の聖地は、歴史と由緒のある聖地が尊ばれ、新たに生まれた聖地は何か安っぽいものとして軽んじられるか、偽物として否定される傾向があります。日本の場合、聖地として正統性を得るには、「古くて変わらないもの」である必要があるのです。一方、マダガスカルの聖地では、今まさに現在進行形で神話が創造されつつあり、それと共に新たに生まれた聖地が憑依霊の承認のもとに正統性を得ていくのです。

つまり、より静態的な聖地が日本のそれだとするならば、より動態的な聖地がマダガスカルのそれなのです。本書では、マダガスカルの「躍動する聖地」の迫力を、静態的な聖地に慣れ親しんだ日本の読者の皆様にお届けできればと思います。

本書のポイント

本書は、マダガスカル共和国で存在感を増すドゥアニと呼ばれる聖地を中心とした信仰の生成と発展について、その全体像を明らかにしたものです。先行研究では断片的に研究されることが多かった聖地ドゥアニを、一つの信仰体系(ドゥアニ信仰)として理解しようとした点に特徴があります。文献資料や聞き取り調査によってドゥアニ信仰の歴史を明らかにし、特定のドゥアニのインテンシヴな調査と、イメリナ地方を中心にマダガスカル各地の18のドゥアニや巡礼者が多い西インド洋の島々まで含めたエクステンシヴな調査を組み合わせ、ドゥアニの動態に迫っています。

本書の特長は以下の3点です。

一つ目は、マダガスカル各地のドゥアニにおける「信仰の具象化」と呼びうる現象を明らかにしたことです。ドゥアニの祭祀対象である王霊・精霊が、憑依儀礼で特定の衣装をまとう具体的な人物として立ち現れ、霊的な直観により王霊の人物画や像が奉納されるなど、漠然としていた祭祀対象が具象化する現象がそれです。また、ドゥアニの社殿が改修・整備されたり、新たに建設されたりする事例も多くみられます。このような社殿化も、憑依儀礼や霊的直観を通した王霊や精霊による要望・指令として、信徒らにより実行されます。こうした信仰の具象化が、ドゥアニ信仰の発展に寄与しているのです。

二つ目は、既存の宗教、民族、階層、歴史の境界を超えるドゥアニの越境性を明らかにしたことです。いかなる宗教的、民族的、階層的背景を持つ人びともドゥアニに参拝でき、憑依儀礼においては歴史的・神話的な想像力が働いて、かつての奴隷階層が王霊を憑依させることも、異なる民族や宗教の祭祀対象に祈願することも可能なのです。この自由さと寛容さは、社会的マイノリティを含め国内外から巡礼者を集める結果となっています。

三つ目は、ドゥアニに多神教的なパンテオン(神々の体系)が形成されていることを明らかにしたことです。ドゥアニのパンテオンには、その越境性から、イメリナ王国の歴代の王霊を中心に、他民族の王霊や精霊がゆるやかに集まり、現在も新たな精霊が加わり続けています。本書で「イメージの還流」と名付けられた実践をとおして、王霊たちは永遠不変の歴史的存在への回帰と憑依での更新を繰り返しながら、人びとの前に立ち現れるのです。

本書では、日本の神社信仰(神道)や沖縄の御嶽信仰と、マダガスカルのドゥアニ信仰を直接比較検討することはしていません。しかし、日本の神社信仰・聖地信仰や民間宗教、宗教史・神道史などの知識を有する人が読めば、多くの示唆を得られるものと自負しています。

イメリナ地方のドゥアニに巡礼に来たレユニオン人の宗教的リーダー(霊媒)と信徒集団
イメリナ地方のドゥアニの大祭で、聖遺物を担いでもみ合う人々
ドゥアニの社殿前で憑依状態となり、精霊として振る舞い、踊る宗教的リーダー(霊媒)
憑依状態となりビールをラッパ飲みするモーリシャス人ムスリムのドゥアニ信仰の宗教的リーダー

和布刈神社 祭儀部 権禰宜
京都大学アフリカ地域研究資料センター特任助教
江端 希之