彭 永成『『ゼクシィ』のメディア史 花嫁たちのプラットフォーム』

彭 永成『『ゼクシィ』のメディア史 花嫁たちのプラットフォーム』

著者:彭 永成
桃山学院大学社会学部講師
2022年京都大学教育学研究科博士号取得

出版社:創元社
発行年月日:2023年3月20日

https://www.sogensha.co.jp/productlist/detail?id=4612

書籍紹介

「プロポーズされたらゼクシィ」から「幸せが動いたら、ゼクシィ」へ。

この本が書き上げられた2022年は、コロナ感染状況が勃発してから2年が経ち、繰り返される緊急事態宣言の中、集客を常に第一に考えるブライダル産業は未だに回復の見通しが立っていなかったという。しかしながら、その中でも、1回目の緊急事態で雑誌全体の減量を見せた結婚情報誌『ゼクシィ』は、その分量いわばブライダル広告の掲載量は回復していた。

日本社会におけるウェディング準備のバイブルとして認識されている結婚情報誌『ゼクシィ』は、その発売地域は19ヶ所以上、首都圏、関西などの主要都市圏で発行されるバージョンの重さは3kgを超え、「凶器」とも揶揄されるまで至った。

コロナ危機だけではなく、1990年代以来社会の結婚率の減少に伴って、ブライダル市場の縮小が叫ばれるようになって久しいが、リクルート社発行の結婚情報誌『ゼクシィ』の好調ぶりは際立っている。現代社会における冠婚葬祭の意味が失われつつ、「みなし婚」、「事実婚」の著しい増加などの逆風にも負けず、『ゼクシィ』は結婚情報誌市場で独占的なシェアを占めている。インターネットの普及により出版業界全体が低迷に陥った今や、『ゼクシィ』は雑誌の未来に希望をつなぐ存在としても注目されている。

ただし、バブルのはじけた1990年代初期に創刊された『ゼクシィ』の29年間(2022年まで)の歴史は、常に順風満帆ではなかった。1980年代以来、多くの結婚情報誌が創刊され、ライバルが乱立している中、『ゼクシィ』が今日の地位まで成長してくるまでには、多くの改革があった。媒体の形式や内容が変わるたびに、『ゼクシィ』が提示するウェディングの意味及び花嫁イメージは、その時代その社会の規範を反映しながら、変身を遂げてきた。

その変容と意義を検討するために、まず日本社会の結婚式のスタイルと歴史を背景に、①1990年代以前の結婚情報のメディア史及びブライダル情報産業の構造を明らかにした。②1990年代第二波結婚情報誌の創刊熱中に誕生した『ゼクシィ』はウェディングの礼儀教本としての役割を果たし、誌上では「新妻」という理想像が女性読者に訴えた。③2000年代、ネット的な想像力を雑誌形式に応用し、ウェディングのアイデア集と化していく『ゼクシィ』は花嫁を「ヒロイン」ならびに結婚式準備の権力者として構築した。

時間軸における『ゼクシィ』の変化を見た上で、より立体的に結婚情報メディアの形式と内容を捉えるため、空間軸上のできごとも見ていく。④創刊された1998年から2006年までは、細分化するメディアとしての雑誌の特徴を貫いた地方版「九州ゼクシィ」だが、2006年以降では雑誌形式がさらに細分化されたにもかかわらず、内容面では首都圏より同化が進んだ。⑤一方、読者層の細分化を図る「大人ゼクシィ」の創刊が30代女性の理想に答えた結果、花嫁イメージは保守的な性別規範意識に矛盾しないように見受けられた。⑥同時に、2000年代雑誌媒体の発達とともに開始された「ゼクシィnet」では、雑誌媒体の細分化により切られた様々な情報サービスが次々とネットで展開されるようになった。だがその統合ぶりを見せている「ゼクシィnet」は未だに雑誌の補助役と受け皿にすぎないのが現実である。一方、紙媒体が優位を示す状況は、中国への進出を果たした『ゼクシィ』、改め『大衆皆喜』からすれば全く当てはまらなかった。日本での庶民路線から離脱し、ハデ婚情報を専門するような路線に舵を切った『大衆皆喜』はなぜ、ネット系のブライダル情報メディアに追い出されたのか。『大衆皆喜』が中国社会に伝える結婚イメージの分析から、「日本式」ウェディングの理想像を逆照射することもできよう。

こうした手順を踏みながら、本書は最も多く読まれている結婚情報誌『ゼクシィ』のメディア史的分析を通じて、1990年代以降の日本社会の結婚の理想像を紐解きながら、「プラットフォーム型雑誌」という情報誌の理想型に映し出される、情報化社会に生きる紙媒体の可能性を読み取る。

桃山学院大学社会学部講師
彭 永成