金 智慧『明治歌舞伎史論 懐古・改良・高尚化』

金 智慧『明治歌舞伎史論 懐古・改良・高尚化』

著者:金 智慧
京都大学人文科学研究所助教

出版社:思文閣出版
発行年月日:2023年3月20日

https://www.shibunkaku.co.jp/publishing/list/9784784220526/

書籍紹介

明治維新後に到来した文明開化期から、日本文化の再認識と保存の風潮が漂った明治末期までの激動の時代の中、歌舞伎は如何に変遷されていったのか。歌舞伎はそれが誕生した江戸時代から社会の風俗や人情を活写する「当代劇」として機能しており、明治時代に入ってからも依然としてその役割を果たしていた。しかしながら、梨園の中の改良の欲求と、国内外の貴顕紳士をもてなす演劇を求める明治政府の政策に触発され、歌舞伎脚本の形態や演技・演出、劇場の構造、興行方法などに大きな変化がみられるようになる。その質的変換の源には、役者・狂言作者・興行主の意志はさることながら、当代随一の政府高官と知識人らの政治的利害関係や思想が入り組んでいた。こうした変化の原動力を意識しつつ、本書では、明治という前例のない大変革期の中の歌舞伎界の動向を、「懐古」(江戸歌舞伎の面影)、「改良」(脚本改良の動き)、「高尚化」(古典芸能としての格上げの試み)の三つの視座から追跡することを試みた。

第一部では、幕末から明治期にわたり活動した狂言作者の河竹黙阿弥が創作した明治10年代の作品を取り上げ、そこに表れた江戸歌舞伎の残影を論じた。当然ながら、明治時代になったところで過去との毅然とした断絶が生じたわけではなく、文明開化と改良ブームの裏面には、近代以前の日本を懐かしむ人々も大勢いたのである。黙阿弥もそのうちの一人であった。幕末期に白浪物で大成した黙阿弥は、明治期に入り、新しい世相と文物を反映した散切物を創作する一方、役者の九代目市川団十郎の要求に応じて新しい形態の史劇である活歴物を書き下ろすなど、新時代に適応するため苦心した。だが、古風から完全に逃れることはなく、むしろ新しい趣向とともに江戸歌舞伎の手法および江戸への郷愁を刺激する演出を適宜利用した痕跡が多々みられる。その事例として、散切物「富士額男女繁山」「月梅薫朧夜」における江戸歌舞伎の趣向の再利用やノスタルジックな演出を指摘したうえ、活歴物「夢物語盧生容画」にみられる黙阿弥の江戸懐古の志向と九代目団十郎の改良意志の矛盾した併存を検討し、両者の対立から「懐古」と「改良」の交差という明治期歌舞伎の大きい流れを汲み取った。

第二部では、狂言作者ではない文学者による改良脚本を対象にして、彼らの演劇理念と作劇法を分析した。明治19年(1886)の演劇改良会の発足を契機として脚本の重要性が強調され、本来梨園に属さなかった文学者たちが改良脚本に手掛けるようになる。こうした部外作者による新しいかたちの史劇には、脚本改良に対する文学者それぞれの演劇理念や理想が込められており、いわゆる「旧劇」(近世期以来の伝統的な芝居)との相違、あるいは兼ね合いに眼目があった。依田学海と川尻宝岑は部外作者の先駆的な存在で、彼らの合作『吉野拾遺名歌誉』『文覚上人勧進帳』を通して、初期の改良脚本の様相を検討した。なお、近松浄瑠璃を改作した福地桜痴作「十二時会稽曽我」を取り上げ、原作との相違点を考慮しつつ、桜痴自身の演劇改良観を踏まえた工夫を分析した。それから、坪内逍遥が史劇改良のために創作した『桐一葉』『沓手鳥孤城落月』に焦点を当て、歌舞伎における「型」の超克に挑んだ逍遥のドラマツルギーを考察した。

第三部では、明治20年(1887)の天覧劇と日清戦争後に盛況する新派劇に促された歌舞伎界の保守化、それから歌舞伎が「伝統劇」として定着する過程を辿った。その際、主として役者の九代目団十郎と五代目尾上菊五郎の動向に注目した。明治初年から演劇改良の先頭に立っていた団十郎は、時代考証や内面の演技に拘泥した活歴物を提唱し、高尚な趣味を好み、演劇を国民教化の道具にしようとした一部の政府高官に高い支持を受けていた。ところが、一般民衆にはあまり歓迎されず、明治20年代に入ると彼自身も歌舞伎の改良に懐疑を抱き、保守化の道を歩むようになる。とくに、天覧劇を前後に団十郎が徐々に保守的な姿勢をとることが看取され、その根拠として、天覧劇を機に一種のプレミアム作品化した「勧進帳」の上演目的の変化を指摘した。一方、役者による家の芸選定も高尚化の代表的な現象である。その一例として、菊五郎が収集した新古演劇十種を取り上げ、尾上家の来歴を概観したうえ、とりわけ立役を本領とする菊五郎が、なぜ家の芸として鬼女・精霊中心の演目を選定したかという問題に迫った。さらに、元禄期以来から確認できる追善公演の歴史とその性質の変化を追跡し、明治期に低迷した追善公演が明治36年(1903)の団十郎・菊五郎の没後、再び復活した現象を歌舞伎の高尚化と関連付けて論じた。

以上の事例からみられる作者・役者側の試行錯誤、観客側の享受形態の変化などを経て、歌舞伎は「当代劇」の地位を捨て、「伝統劇」としての一歩を踏み出すようになり、それ以降は保存すべき古典芸能として現在に至るまで確固たる地位を獲得している。こうした歌舞伎の根本的な質的変化を理解するためには、明治期歌舞伎史を振り返る作業は不可欠であり、本書がその一助となることを期待する。

京都大学人文科学研究所助教
金 智慧