京大人社通信対談 第二話「官僚・役人・公務員」

京大人社通信第二話では、「官僚・役人・公務員」をテーマに、三宅先生(日本近世史)と曽我先生(国内政治・行政分析)からそれぞれ下記2篇をご寄稿いただきました。

・三宅正浩「徳島城雑煮事件――江戸時代の社会と組織」
・曽我謙悟「お仕事ドラマの中の公務員――官僚制の普遍性と霞が関の特殊性」

専門は異なれども、政治や組織、社会構造など、研究内容に関しては共通の話題も多いお二人。それでも所属が異なれば、同じ大学にいても普段はなかなか接点がないものです。今回が初対面だという先生方に、お互いの文章を読み合っていただいたうえで、興味・関心の赴くままに自由に質問をぶつけ合い、対談をしていただきました。

(2023年5月10日公開/水野良美=構成)

藩主の日記

曽我 今回、たいへん面白く読ませていただいたのですが、そのなかでまずお聞きしたいのは、文中に出てくる徳島藩主、蜂須賀重喜(はちすか・しげよし)の「在国日記」についてです。このたび題材として取り上げておられたのは、城内で起きた「雑煮事件」のような日常の些細なエピソードを事細かに書き留めたものですが、当時は、藩主がそういった記録を残すことが一般的だったのでしょうか。あのように細部に至るまで書かれていたところに驚きまして。

三宅 一般的かどうかといわれれば、一般的です。現在まで伝わっているものは少ないのですが、全国のあちこちの藩で藩主が日記を書いていたことは確かです。ただ、どこまで詳しく書くか、あるいは自分で書くかどうかはそれぞれだったようです。右筆(ゆうひつ)が藩主の横で書いて記録として残しているだけのものも多いですから。

重喜の場合は自分で書いていて、なおかつ非常に細かい。ここは彼の個性だと思います。しかも、ほぼ毎日欠かしたことがないわけです。あれは政務の記録ですから、自分(藩主)の手元に回ってきた案件を逐一記録していたようです。とはいえ、突然思い出したかのように、数日前のことを遡って書いたりしていることももちろんあるので、決まった時間に日記をつけていたのかどうかまではわからないのですが。

曽我 なるほど、そうすると今でいう業務日誌のようなものなのですね。日々きちんと仕事をしている。それだけ決めねばならないことや判断せねばならないことがたくさんあった、と。忙しいなかで、面倒でもあるでしょうに、まめに日誌をつける動機としては、やはり己の判断のブレを防ぐためであったり、反省するためであったり、といったことがあったのでしょうか。

三宅 基本的には、やはり参照するための記録だと思います。ちなみに、江戸時代の初期からそうした制度があったわけではなくて、江戸時代が始まって50年ほど経った17世紀の半ば頃から「在国日記」のような記録をどの藩でもつけるようになっています。それはおそらく、社会が安定したことを反映している。今までのやり方に則ってやっていれば、基本的にうまく回っていくようになっていたのですね。そのとき、今までのやり方を蓄積していく必要があるわけです。さらにそうして記録をつけ出すと、周囲も真似て誰もがつけ始めることになる。記録は個人の手元に残るわけではなくて、代々引き継がれてゆき、家臣もおそらく過去の日記を参照できていたのだと思います。新しい物事が生じた場合、都度過去の事例を参照して判断する。つまり、今でいう判例集のようなものとして使われていたのでしょう。

先例主義が意味するもの

曽我 それは先例主義の表れなのだ、ということも文中で書かれていましたね。ただそうなると、なぜ改革が必要になるのか、素朴に疑問に思うわけです。社会が安定していれば先例主義のままで問題ないはずなのに、ある段階から改革の機運が高まってくるのはなぜなのでしょうか。

三宅 根本的には、やはりお金の問題が影響しています。財政がうまく回らなくなるわけです。「財政窮乏」と一般にいわれますけれども、従来は借金の多寡(たか)などで判断していたのですが、最近の研究ではそういうものでは判断できない、となってきています。つまり、最初から慢性的にお金が足りず――現代の企業経営も同じだと思いますが――お金を借りて返してまた借りて、という、そのサイクルがうまく回らなくなってくるところに改革の必要性が生じてくる。すると藩主の威光が薄れてきて、民間の経済力が強まり、そのせいでうまく財政が回らなくなってくるのだ、と少なくとも為政者は認識するのですね。

実態は別としても、そのような認識のもとで、過去の威光を取り戻すべく改革に舵を切る。ただ、精神的な改革ではうまくいかないため、実際は現代でいうところの「改革」的なことをたくさん実施していました。しかし、今回の蜂須賀重喜のように、改革を新たなこととして実行すると失敗する。新たなことを受け入れてもらうには、実行する内容にちょうど合致するような過去の前例を、無理矢理でもいいので探してきて、その良き時代に戻るのだ、というかたちで改革を進めるのが肝要なのです。先例主義とは、じつは現状を変えていく方向においても力を発揮するのです。

曽我 それは面白いですね。明治維新のときも「改革」と称して、実際には王政復古を掲げていたわけですし。お話をお聞きしていると、さらにそれ以前の江戸時代においても同様で、変革における正当化の手段として先例主義が採用されていたのだと理解できます。

「主君押込」はなぜ起こるのか

曽我 いろいろと興味は尽きないのですが、もう一つ、藩主(主君)と家臣団の関係についてもお話を伺えればと思います。文章中、結語の部分で「賀嶋兵庫の建白に反し、家臣たちの反対を押し切って『新法』を導入して改革に突き進んだ藩主重喜は、周囲との軋轢により、強制隠居に追い込まれた」と書かれていましたが、これはいわゆる「主君押込(おしこめ)」の構造と同様のものと理解しても問題ありませんか(※「主君押込」:家臣による主君の強制隠居)。本来、主君押込はもっと前の時代の話かと思っていたのですが……。

三宅 主君押込の事例について、もっとも体系的に研究されていて有名なのは笠谷和比古(かさや・かずひこ)さんというかたなのですが、彼の著書『主君「押込」の構造:近世大名と家臣団』(平凡社選書、1988年/講談社学術文庫、2006年)の冒頭に出てくる事例が、じつはこの蜂須賀重喜なのですね。押込のモデルケースとして採用されているわけです。わたしが書いた雑煮事件の話は、重喜が押込に遭うよりも少し前の時期の事件です。

曽我 となると結局、権力構造的に藩主が絶対的に強いのだ、というイメージは間違っていることになりますね。そう頻繁にあることではないとはいえ、家臣の側が主(あるじ)を取り換えることも可能だった。ただ当然、家臣の側にもリスクはある。ある種のクーデターのようなものですから、いつもうまくいくわけではなく、失敗したら首謀者は悲惨な目に遭うでしょう。それでも一定数こうした事例があるということは、主君が家臣を完全に抑え込められるような状態ではなかった――言い換えれば絶対的な権力を持ち合わせてはいなかった――と理解できますが、家臣の側からしたらどうなのでしょうか。つまり、リスクを負ってまで踏み切るインセンティブはどこにあったのだろうかと。

三宅 それはすごく面白い問題で、わたしが考えているのも、じつはその構造がどうなっているのか、ということなのです。もとの専門は江戸時代の形成期なのですが、その形成過程をみていくと、やはり当初は主君が家臣にたいしていかに強くなるか、つまり家臣をどう抑えつけるかを考えるところから権力を拡大・強化させていくわけです。それを突き詰めていくと、権力を「投げ出す」という行為に行き着く。主君が自分でやっていると、それが跳ね返ってきますからね。主君が命令を下しても家臣が従わない場合、主君のご威光が傷ついてしまう。だとすれば命令をしなければいい。もっといえば、身近な家臣に根回しをさせ、命令に従うことが確定してから命令を下すようにすれば、主君の命令は絶対的になります。

じつは、そうしたかたちで権力が下に移行していくわけなのですが、結果として、実際には主君の権力がなくなっていくのです。ですから、目指したものとは逆の現象が生じてくるというのが権力構造それ自体の性質としてあるのではないか、と今のところは考えています。主君押込に関しては、これもまだ明確に判明しているわけではないのですが、おそらく大名の場合にしか起こらないのではないか。つまり、藩の上に江戸幕府があるので、幕府から取り潰されたり睨まれたり、といった関係を睨んだときに、主君を押し込めることによって大名の家を守る、ということですね。そうした行動として主君押込のパターンが起こると理解できますから、「将軍押込」は起こりえない。

対談風景

政治の勘所

曽我 家臣は、藩が取り潰しにあったりすると、失職して行き場がなくなってしまいますしね。だから家臣としても、お取り潰しなどを回避するために、自分の生き残りをかけて主君を取り換える必要が出てくる。

三宅 そうですね。以前、奈良勝司さんという明治維新の研究者のかたが、「江戸幕府が滅びて明治維新が起こった大きな要因の一つに、最後の将軍、徳川慶喜が優秀だったことがある」と話されていたことがあります。つまり、それまでの将軍は基本的に老中に任せて何もしなかったのにたいして、慶喜は優秀で、先が読めてしまうから自分でやってしまった。自分でやると、責任をすべて一人で背負うことになりますから、結果としてあのような大政奉還に行き着き、江戸幕府が倒壊してしまったのだ、と。そういう意味では、慶喜については――もちろん現象自体は異なりますけれども――主君押込が起こったといえそうです。

曽我 徳川家が権力の頂点に位置する限りは押込は起こりえないものの、もう一つの権力として天皇のような存在があり、天皇自身は本当は力がなかったのかもしれませんが、その力を借りて別の権力が出来上がったときに、主君の取り換えが起こってしまう、ということですね。わたしは政治学が専門なのですが、ある意味で現代の政治にもつながる部分があると感じます。自分自身がやるか、人に任せるか。後者の場合、勝手なことをやられてしまうかもしれないわけで、リーダーの側からみると、人に任せるというのも、常にリスクを孕んだ選択肢になる。国であっても藩であっても、主(あるじ)がそれらを動かしていくうえでは、そのあたりが勘所になるのかもしれません。

お仕事ドラマが増えてきた理由

三宅 では次に、わたしからいくつか質問をさせていただきます。まず、文章を拝読して、わたし自身「公務員」と聞いたときに、霞が関の公務員(官僚)と地方自治体などの一般の公務員とを分けて考えたことがなかったので、実際は両者がまったく異なるものだということがよくわかりました。テレビドラマに関しては、じつはほとんど観ないので疎いのですが、今回題材として取り上げておられたお仕事ドラマについては、2000年代以降に増えてきた、と書かれていましたね。それには何か明確な理由や背景などがあるのでしょうか。

曽我 その点については、むしろ文学研究科に専門のかたがおられるような気もしますけれども……(笑)。素人談議の続きとして言わせていただくと、以前はトレンディドラマというジャンルがありましたよね。1980年代や90年代には随分あったと思うのですが、そうした流行の背景には、人々がテレビというメディアに何を期待しているのかが関係しているのではないでしょうか。

日本では、バブルが崩壊するあたりまでは非日常が求められていたように思いますが、90年代の半ば以降になると、世の中全体としてなかなかうまくいかないことが増えてきて、社会に停滞感が生じてくる。そうなると、テレビに期待するテーマも非日常から日常へと移っていく。わたしもすべてのドラマを観ているわけではないのですが、漫画はよく読んでいて、それらを含めると――ドラマであっても漫画であっても――社会を映す鏡なのだと実感しますね。また、取り上げられる題材が日常的なものに変わってきたということは、社会の状態が変わってきたことだけでなく、メディアとしてのテレビのあり方自体が変わってきたことも反映しているのだと思います。

三宅 わたしの個人的な興味関心でいうと、時代劇はすごく大事でして。最近、いわゆる勧善懲悪型の時代劇がほぼなくなりましたよね。学生たちが時代劇を観てくれると、江戸時代の基本的なことを説明せずともよいのですが、最近はまったくそうした予備知識がないもので、教育にちょっと苦慮しています(笑)。

法・規則・慣行のバランスと社会構造

三宅 もう一つお聞きしたいのは、法・規則・慣行の関係についてです。今回の文章の中で、ドラマの中で描かれる公務員の姿を指して、「生身の一人一人の人間と法や規則、組織の慣行といったものの相剋というものがある」と書かれていましたね。ところが、わたしが研究している江戸時代の組織のあり方からすると、法や規則、慣行についていえば、どちらが重いかというと、おそらく慣行のほうが重いのです。現代社会では、それらの関係性がいかにして相互にバランスをとっているのかについて、おそらく矛盾もあるかと思うのですが、どのように理解すればよいのか教えていただければと思いまして。

曽我 それは非常に大きな問題でして、ほとんど近代社会や現代社会とは何か、というレベルの話にも近いような気がしますね(笑)。わたしはずっと行政を専門にみてきているのですが、やはりそうした世界でも、まずは誰がみてもわかるように、明示的な形式として条文や法律があるわけです。ただ、それらを運用していくうえでは、明文化されたものだけでは実態とのギャップを埋められず、運用サイドがいろいろなかたちでの慣行や慣習を作っていく。それでも隙間が埋まらない場合、裁判や判例が持ち出されます。

そうした視点でみると、三宅先生の文章を拝読していて面白かったのは、やはり江戸時代ではまだそのあたりが一緒くたになっている感じがすることですね。藩主の役割というのは、裁判官役と行政を動かしていく役と、両方が一緒になっている気がします。現代では、法律を作る側、実際に動かす側、あとでそれを判断する側と、それぞれ分けているのですが、そのベースには、具体的な事案、慣習的なルール、そして法律を作るという三層が存在している。慣習的なルールについていえば、先ほども申し上げたように、明文的な法律の隙間を埋めるために出てくるわけですが、実態に合わせて変わっていく中で、あまりにも明文的なものとの間にずれが生じてしまうと、逆に法律を変えねばならなくなる場合もあるのです。三層は、そうして相互作用を繰り返しながら変わっていく。

そうした中でも、やはり、目に前にいる人の存在は非常に強力です。目の前にいる人を助けてあげたいと思ったり、許せないと思ったり、いろいろな感情があるときに、法律や暗黙のルールとの間で挟まれて判断に悩む人たちがいる。今回の文章では、ルールを作る公務員と一般の人々との間に立って葛藤する公務員の姿を、テレビドラマを通じて取り上げたつもりです。

せめぎ合う力

三宅 そうすると、キャリア官僚たちは、実態と法律がずれてきたときに法を調整し、変えていくことになるわけですよね。でも結局、その決定をするのはキャリア官僚の上にいる政治家だとすると、キャリア官僚の人たちは、自分たちの立場をどのようなものとして理解していて、なおかつ、それは世間からどのようなイメージとして見られているのでしょうか。おそらくドラマにも反映されてくる要素かと思うのですが。

曽我 それは非常に面白いし、大事な論点で、わたしたちが一生懸命研究してきたことの一つでもあります。官僚と政治家の関係は、端的にいえば法律を作る側とそれを決定する側となりますが、政治家は日本だと500人いて、それだけの大人数で議論するのもたいへんだと思ういっぽう、日本全体を500人でカバーするのもなかなか難しいのが現実です。そのため、官僚たちは実際に法律の実施を担う地方自治体と関係を持ち、できるだけ広くカバーしようと努めています。すると必然、霞が関の官僚でないと気づかないような部分も出てくるわけです。

だから法律の立案にも2パターンあり、一つは政治家の側から先にイニシアチブがあるもので、もう一つは問題の所在を把握している官僚が具体的に課題を指摘し、変更に際してのお墨付きを政治家からもらうパターンです。戦後長らく、おそらく1980年代頃までは基本的には後者のパターンも多かった。けれども徐々に、特定の分野に関係を持った、いわゆる族議員と呼ばれる政治家たちが案件を持ち込む場合が増えてきて、さらに最近では首相が直接持ち込むパターンが非常に増えているのが実情です。そして、それを実現するために官僚たちが動くようになってきている。基本的には、その2つのウエイト――政治家と官僚、それぞれの側からのイニシアチブ――がどんどん変わってきている、というのが大きな見取図かなと思います。

三宅 そうなると、キャリア官僚たちも、政治家とそれ以外とのせめぎ合いの中で葛藤を抱えることになっていくわけですよね。いわゆるお仕事ドラマの中で描かれた公務員の世界とはレベルが違うかもしれませんが、まさに彼らと同じようなことが生じつつある、といえるのではないかと思ったのですが、いかがでしょうか。

曽我 おっしゃる通りですね。ですから、そうした実態をドラマなどでも描くことができれば面白いのではないかと思うのですが、そこに面白さを見出す前に、ひと昔前の「自分たちが国を引っ張っているのだ」という意識がある官僚たちのイメージが強すぎて、世の中の人々の間では遠い世界の話になってしまう。しかし実際は、今まさにおっしゃっていただいたように、官僚たちもいろいろなものに挟まれた状態で、もがき苦しんで、非常にたいへんな状態になっているので、職種を超えて共感していただけるような部分はむしろ増えているはずなのですが、なかなかそこまでには目がいきません。

官僚と日本社会

三宅 最後にもう一つだけ、面白かったといいますか、気づかされたことなのですが、今回の文章の中で「反発か無関心か。これが人々の中で官僚が置かれる立場の宿命なのかもしれない」と書かれています。そして日本の場合は2010年代頃から無関心化へと向かっていて、それ以前の反発が消えてきた、と。わたし自身も実感として確かにそう感じるのですが、官僚への反発が消えた理由も気になるいっぽうで、このままいくと、構造としてはどのように変わっていくものと理解すればよいのでしょうか。

曽我 難しい問題ですが、大事なことですね。それを考えるうえでは、そもそもなぜ官僚が叩かれる対象になり、それがのちに消えていったのかを理解する必要がありそうです。まず、普段は自分とは遠い世界にいる人たちに目を向けさせ、人々を反発へと向かわせる背景には、ある種意図的な操作があり、そうした手段を政治家の側が使う場合もあるでしょう。たとえば現状の体制変更を試みるとき、既存の権力を攻撃の対象にするというのは一つの手段になりえますから。政党や政治家によるそのような動きにマスメディアなどが乗っかる場合もありますね。

日本の場合は、割と早い段階で、つまり改革の必要性が説かれ始めた1990年代頃からそうした手段を継続的に使ってきていた。民主党への政権交代があった2009年頃までずっと続いていたのですが、いざ政権が変わってしまうと、一通りやり尽くしたとなってしまい、官僚バッシングをもう一度旗印として使うことが難しくなったわけです。賞味期限が切れた、とでもいいましょうか。賞味期限が切れて、誰もそれを争点として使わなくなってくると、次第に世の中の人々からも官僚にたいする印象が薄れていくことになる。

官僚がある種のスケープゴートとして使われるよりは状態としてはよいのかもしれませんが、無関心でいるのも、決して健全な状態とはいえません。先ほど申し上げたように、官僚の人たちも今はいろいろな意味でしんどくなり、疲弊していますからね。彼らのそうした過酷な現状は、さまざまなかたちで政策の質などにも関わってきますから、そうなると回りまわってわたしたち一般の生活者にも跳ね返ってくることになる。ですから、無関心というわけにはいかず、わたしたちとしても、官僚の人たちにがんばって仕事をしてもらわなければならないでしょう。彼らをサポートするような風潮になればよいのですが、そのためにもまずは世論に向けて、官僚の現状を理解してもらうような取り組みが必要なのだと思います。

(みやけ・まさひろ/日本近世史)
(そが・けんご/国内政治・行政分析)
――2023年2月22日、京都大学にて収録

三宅 正浩(みやけ まさひろ)
京都大学大学院文学研究科准教授

専門は日本近世史、特に前期政治史。近世大名家の政治構造について、徳島藩蜂須賀家などを事例として研究を行っている。近年は特に、近世大名と江戸幕府の関係を軸に、日本近世の政治のあり方について研究している。著書に『近世大名家の政治秩序』(校倉書房)、共著に『シリーズ三都 京都巻』(東京大学出版会)などがある。

曽我 謙悟(そが けんご)
京都大学大学院法学研究科教授

専門は現代の(主に日本の)国内政治・行政の分析。主な著書に『日本の地方政府――1700自治体の実態と課題』(中公新書)、『現代日本の官僚制』(東京大学出版会)、『行政学[新版]』(有斐閣アルマ)、共著に『選挙ガバナンスの実態 日本編』(ミネルヴァ書房)、『縮小都市の政治学』(岩波書店)など。