研究者紹介

「WEターン」というオルタナティブ哲学の提案(出口康夫)

2025.02.05

哲学への転向

 私は、幼い頃からずっと日本史が好きで、京都大学に進学するなら、おぼろげに日本史を学ぼうと思っていました。それが高校2年生のときに、急に哲学へと志望を変更したのです。それには2つ理由があります。ひとつは、高校時代に読んだ本にあります。当時、私が興味を持っていたのは古代史で、とくに「謎の4世紀」といわれる時代に関心がありました。中国の歴史書にも載っていない時代で、その間にとんでもないことが起こって、そこから大和朝廷の基ができた。一番大事なところの記録が抜けていて、今でも日本史では重要な研究テーマとされています。私はその「謎の4世紀」を扱う新書を2冊読んだのですが、2冊ともアプローチの仕方が全然違い、結果もまったく違っていました。1つは同志社大学の森浩一先生という考古学の塊みたいな学者の本です。戦前戦中に日本書紀・古事記がそのまま事実として教えられていたことへの反省から、書物は一切信じず、出土したものだけを信じる。そんな考古学の1つの立場を貫き、そこから歴史を考察されていました。もう1つは、早稲田大学の水野祐先生の本。この先生も戦前戦中の日本史について批判はされていますが、日本書紀・古事記を丁寧に読む中で、王朝が劇的に交代している点を指摘され、万世一系の天皇制はないという視点から、古代天皇制の形成過程を再評価されていました。現在も考古学においてさまざまなアプローチで研究されていますが、70年代当時は「日本の書物」と「遺跡」という研究が水と油のように分かれていて、その両方が私にはおもしろかった。私はこの2冊を読み終え、そもそも学問の方法論が違ったら中身は全然違ってくることに気づきました。個々の学問よりも、何を証拠とし何を信じるかが重要に思えたのです。まずそこを解決しないとどんな学問もできない。そこを考えるのは哲学だと思いました。

 もうひとつ哲学を志すきっかけになったのは、私の生い立ちです。私は寺の長男として生まれ、「寺を継ぐ」ことが当たり前の環境で育ちました。親にとって、私が継ぐなんてことは「お前は人間だ」と同じくらいのことで、「継げ」とも言われませんでした。しかし、私には継ぐ気は一切なかったのです。だから単に「嫌だから継がない」ではなく、なぜ継がないのかいくつかの理論を何段構えで持っていました。そういう理屈で準備していくという、ある種哲学的なアプローチをいつも身近に考えていたのです。また、寺を継ぐ気はなかった一方で、幼い頃から聞かされていた仏教には興味はありました。仏教への興味を自分の中で生かすには、仏教以外の宗教や、より広い分野を勉強し、その中で活用するところを見極めなければならないと考えていました。そうすると専攻は仏教学ではなく、やはり哲学になります。私の大正生まれの祖父は、いわゆる「京都学派」の創始者、西田幾多郎が学んだ金沢の旧制第四高等学校の同級生で、西田を京大に呼んだ松本文三郎の弟子でした。西田をはじめ、当時、仏教倫理思想史、西洋の倫理学を研究する和辻哲郎の授業も受けていたので、私がもし京都大学へ進学するなら、きっと仏教学を専攻するだろうと、これもまた当たり前のように決めつけていました。でも私は、東洋と西洋の両方の考えを見たいと思い哲学を専攻したのです。そんないくつかのことがあり、大学は文学部史学科から文学部哲学科へ、そこからさらに仏教学ではなく哲学へと志望を決めました。理系から文系へといった派手な変更ではありませんが、私にとっては、それなりに大きな転向でした。

統計学、確率論から見える超合理性

 私が入学した80年代当時、まだキャンパスには、戦前からの京都学派の雰囲気が残っていて、西谷啓治など現役の京都学派の先生が歩いていました。私は当初から自分の哲学を作るつもりで入学したので、京都学派とは違う何かが自分に見つからないうちは、京都学派的な仏教思想、東洋思想は封印しておこうと考えていました。そこで、学部・大学院時代は西洋哲学や現代哲学、科学などを研究していました。西洋哲学では古典の代表格であるカントを、科学哲学ではその中でも統計学の哲学を自分なりに正体を明らかにしようと研究しました。科学哲学にはさまざまなアプローチや問いが可能ですが、私の問いは、つまるところ「科学とは何か」「科学者は一体何をやっているのか」でした。社会の中で科学はものすごく力を持っています。公的な予算がつき、科学に基づいた医学が正当な医学としてお墨付きがもらえる。東洋医学も認められてきてはいるけれど、やはり科学的な成果、試験、証拠が正当視されていて、それ以外はかなり差がつく。科学は我々の社会体制の根幹の1つになっています。その科学の一番の中心部分は、かなりヘビーに数学が使われている。だから「科学とは何か」「科学者は一体何をやっているのか」、という問いに答えるには、数学の内容を自分で噛み砕いて理解し、それを使う科学者よりも、根本的なことを概念化、言語化する必要がある。私はそう考え、具体的には確率論、統計学を学びました。

 たとえば、サイコロを振ってどの目が出るかという頻度は、振る数を増やすとどんどん一定化していくというのが統計学です。1が出る頻度はサイコロを振れば振るほど1/6という確率に近づくという、頻度収束現象を仮定しています。私が統計学の使われる場所で、とくに注目していたのは医学です。ある手術をするか否かが生死に関わるとき、手術の成功率がたとえば70%だと何で言えるかというと、サイコロと同じです。何万回も振って1/6の確率に収束していくように、手術も何万回もやったら成功は70%に近づく。問題は、手術が本当にサイコロ投げと同じなのかということです。サイコロは何万回も振っているけれど、手術は何万回もやってないことが多い。でも手術はサイコロ投げと一緒だということにしないと、手術の結果に対して確率という考えは応用できない。頻度が収束するという前提のもと、もしも収束したら成功率は70%だと、もう信じるしかない。どの医者も絶対に治るなんて言えないし、統計学を信じるしかない。基本的な大前提として、それを信じれば、何%という数字が意味をもち、成功率は何%だという理屈が通ってくる。しかし患者には、そもそもこの「%」という言い方自体に根拠がないかもしれないというオプションは開かれてない。患者がオプションを教えてもらって嬉しいかどうかは別の話ですが、手術がうまくいかなかったときは、教えて欲しかったと思うかもしれない。そして手術がうまくいかなかったとき、それが統計の枠内で失敗したのか、統計学が全面的にすべって転んだのか、疑問が出てきます。これをどうやって検証するのか。基本的な前提として、統計学は自分で検証できないのです。

超合理的な選択という自覚

 これまで見てきたように科学や統計の根っこを掘っていったら合理性を超える、つまり超合理性にいきつきます。強固な基盤の上にありそうな統計学も実は宙に浮いていて、みんなが同じ前提を信じることによって成り立っている。遡れば最終的には無根拠だから、YESもNOも両方とも合理的になってくる。統計学を取るも取らないも、同程度に合理的である。これが私の科学の見方です。みんなは何を根拠に統計学を取ることに決めているのかというと、たぶんわからずに決めています。前提について根拠があるとは統計学の教科書には書いていないのです。なにか理屈が通っているとか、ちょっとした経験に基づいているとか、数学的にきっちりしている、みたいなことで皆が使っている。ある事実はどうかということを語る時、YesともNoとも言えないところを、実はYesと言って統計学がはじまり、その上ですべての科学はつくられています。そこに社会も産業も乗っかっているのが現在の科学技術文明だと思います。それはしばしば社会的な出来事で、文化的ヘゲモニーを持っている。それがある程度以上に大きくなると、Noを言ったらすべてが崩れるから、Noが言えない。たとえば、貨幣社会で「お金に意味はありません」と言い出したら、経済は全部ひっくり返って回らなくなります。Noと言ったときのリスクが大きすぎるから、皆Yesであると言って回していかざるを得ない。共通の前提を否定することのリスクの大きさは理由のひとつにはなりますが、正当性とはちがいます。

 科学や統計の最初の前提を、科学では検証できない。科学はそれを前提として飲み込むしかない。これは、広くいうと科学的な合理性の限界でもあるし、合理性一般の限界でもあります。だからと言ってそれを否定するのが哲学のしごとではありません。我々は多くの場合、科学を使わざるを得ないことが多いし、それは認めざるを得ない。

 結局、私たちは超合理的な選択や決断、提案をしているのです。しかし「選択をしている」ことをきちんと認識することが重要です。そこに蓋をすると倫理的にも社会的にも問題があり、それに乗らない人を非合理的だ、非科学的だと一方的に排除することにもなります。たとえば、医薬品やワクチンなどにはさまざまな見解がありますが、御都合主義で部分的に反対するのではなく、首尾一貫して全体のシステムにNOという考えがあるなら、それは社会的にも開いておかないといけない。

IからWEへ

 ではこれからどういう決断選択をすべきか。私はいま「Self as WE」という考えのもと「WEターン」を提案しています。すべての行動は私一人ではできず、私を取り巻く他の人やものによって支えられているという主張です。行動に関する決断も私一人が独占的に専決するのではなく、共同決定が望ましいというやり方です。単に自分が良いというためだけではなく、自分が属している我々のためになにが最善かという観点でそれを選ぶべきだという考えです。ただし、「WEターン」もたくさんある提案のひとつですので、これを受け入れたらすべてがよくなるといったユートピアの処方箋ではないし、絶対真理のように考えるのもよくない。

 これは、私が科学や統計学、確率論の哲学的なアプローチをする中で生まれたものです。2016年の終わり、英語圏の研究者と共同研究をしていたとき、もう一度京都学派の哲学や、東洋思想とか仏教思想を見直していこうということになりました。東洋人だった私は、道元や京都学派、中国仏教の章を担当し、それを新しいアプローチで読んでいくと、道元にとっていちばん大きな問題は「自己とはなにか」ということでした。道元にとっての「自己」をいろんな形で問うのは難しいのですが、たとえばこれを現代の観点からどういうふうに再解釈できるかを、アメリカの共同研究者と英語で考えました。結果、道元の自己観を一言で言うと「Self as Anyone」にまとめられるのではないかと思いました。「Anyone」というのは任意の人で、自分はあなたにも彼にも彼女にも、誰にでもなりうる、ということです。「Anyone」の「one」は「人」ですが、もっと広げると、世の中の森羅万象、地球、人工物にもなりうるのではないかと思いました。「Anyone」からさらに広がって「Self as Anything」です。道元の自己観をそんなふうに自分なりに考えました。さらに、西田幾多郎のとくに後期の論文も集中的に読むと、西田にとっても自己は大問題でした。西田は「自己」は「世界」だと言い、その中には個人的な私もいるけれど、この私を包んでいるもうひとつ広い世界が自己だという考えでした。そういった自己の考えは東アジアにずっとあり、道元は、私の解釈でいうと「Anyone」「Anything」、西田は「世界」と言っている。彼らはそう言うが、私はどう考えるか。それが自分の哲学をつくろうと思っていた私には重要でした。私は「WE」だと思いました。「Self as WE」はそこから生まれた考えです。

 たとえば「わたし」が自転車に乗るという行為には、多くの人々、生物、無生物、自然環境、生態系、社会システム、歴史上の出来事といった多種多様のエージェントが関わっています。注目しているのは、一人では何もできないということ。人間はいろいろな「できなさ」を持っています。それを西田は一直線に世界と同一化してしまうのですが、私は「世界」でも「Anyone」でも「Anything」でもなく、「わたし」を含んだシステム、「WE」だろうと考えました。そうやって考えると、全部そこからいろいろなものがひっくり返って「WEターン」していきます。

 近代はあまりにも私ひとりでできることに焦点を当て過ぎています。たしかに近代で科学技術・医学が発展し寿命が伸びて、乳幼児死亡率も下がった。こんな風に本当にいいこともあったけれど、できることにだけ焦点を当てると、それは過剰な競争社会を生み出しています。そこには差別意識が生まれることもあり、誰もが限界を感じているところかもしれない。しかし、できることを中心とした世界は絶対真理ではなく、あくまで複数ある道の1つを選択したらこうなったと認識したほうがいい。

 私は、西洋哲学に対する別のオルタナティブな提案を出して、一方が組み上げているのと同様の概念的な密度を持ったシステムを作り上げることで、社会がもっと多元化・多層化していくことが可能だと思っています。それは学会の中だけで閉じるのではなく、大学の外の人々、日本社会、そしてグローバルに展開したい。我々はしばしば欧米に目を向けがちですが、グローバルサウスとよばれるアジア・アフリカ・中南米などの新興国、発展途上国の研究者や人々に向けても発信をしていきたい。京大において、発信の一つの機関が「人と社会の未来研究院」です。大学に閉じこもらないやり方で、人文社会科学の知を展開していくことがミッションです。1人がなにか言いだすと、誰かが集まってきて、あなたがこうなら私はこうだ! という「WE」ができてほしい。私の考えに皆が賛成する必要はなく、横にまた同じような複数の別の考えが並び立ち、提案が多元化する。そして全体として大きな「WE」ができて価値提案ができていく。そんな社会を理想としています。