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祭という非日常、多様な人が関わる文化人類学 ―縁と集合的身体から考えるつながりの未来―(小西賢吾特定准教授)

2026.01.10

旅好きと自分の好奇心が、研究の源泉

幼い頃から、私は旅をするのが大好きでした。小学生になると、もう一人で電車に乗って、いろいろなところへ出かけていました。学生時代は「青春18きっぷ」で北海道へ行き、日本一周もしました。私の旅好きな気質は、今の研究にもつながっています。子どものころから研究者へのあこがれがあり、高校の頃には漠然と文化に関することを研究したいと思っていました。一方で、特定の「〇〇学」への関心はそれほど強いものではありませんでした。これは、私の現在の研究姿勢にも関わっていることなのですが、「〇〇学」だけを極めたいという思いよりも、自分や社会の課題を解決するために、さまざまな学問を組み合わせてみたい、という気持ちがずっとありました。だから、文理どちらからも人が集まり、多様な学問を一緒に学べる、京都大学総合人間学部に魅力を感じて入学しました。その中で紆余曲折があった結果、私は文化人類学に行き着いたのです。
きっかけの一つは、学部時代に経験した祇園祭のアルバイトです。私は兵庫県尼崎市の新興住宅地で育ったため、地域の祭りに参加する経験はほとんどありませんでした。それが、京都で祇園祭に初めて触れて、こんなすごいものがあるのかと感激しました。みんなの力で巨大な鉾が動いた瞬間、鳥肌がたったのを覚えています。何よりも興味を持ったのが、街全体が非日常空間に変わっていくことです。とくに印象的だったのは、宵山で西洋のタペストリーが山鉾に飾られていたり、町家で音楽のパフォーマンスが行われていたりしたことでした。典型的な「日本の伝統」だけではなく、さまざまな要素が複合して非日常空間を創り出していたのです。こういう世界があるんだということに感動して、人間にとっての非日常空間の意味を考えるようになりました。
もう一つのきっかけは、やはり私の旅好きという習性が影響しています。学部2回生の時にはじめて中国を訪れました。神戸から上海へ船で向かい、西安、北京を3週間かけてまわりました。片道3日もかかり、学割で比較的安く行けた旅でしたが、今思えば、ただただ中国のものすごいエネルギーに圧倒されてしまう旅でした。英語はほぼ通じず、少し学んでいた中国語もなかなか聞き取れなくて、ヘトヘトになって帰ってきたのを覚えています。それが悔しくて、帰国後は中国語の勉強を本格的に始めました。
旅好きでいろいろなところに入り込むことに興味があった反面、私は必ずしもコミュニケーションが得意だったわけではありません。文化人類学は、現地に長期間住み込み、生活をともにする参与観察というフィールドワークを特徴としています。京大の人類学は、探検や登山とのつながりが深く、サバンナや熱帯雨林に単身乗り込んでいく「スーパーハードコア」な先生や先輩が多くいました。そんなフィールドワークが自分にもできるのか、不安は尽きませんでしたが、ある先生が「現実と格闘することの醍醐味は何ものにも代えがたい」とおっしゃっていたのを聞いて、この学問を学ぼうと決心したのです。
卒業論文は京都のお土産の研究でした。当時、観光の人類学的研究がトレンドになっていました。観光地で見られる「伝統」や「文化」は実は観光客向けに構築されたものだ、という研究があり、普段の学生生活と観光地の様子にギャップを感じていた私は興味を持ちました。そして、京都のお土産に京都のイメージがどのように反映されているのかを調べてみようと思い、清水寺や金閣寺の門前のお土産店に行って、ひたすらお土産の品目をメモしたり、土産物メーカーに話を聞きに行ったりしました。店頭では同業者のスパイと思われるほど熱心でした(笑)。私がお世話になった京大の人類学者は、理系にルーツを持つ先生方が多く、文系的な方法だけではなく、「測れるものは測る、数でデータを取る」ということを教わってきました。私はある種それに忠実に、土産屋さんの何百種類の商品を書き出し、そこにどんなデザインがあるかということを、量的に分析しました。その結果、興味深いことがわかってきました。実際は、京都のお土産には京都とまったく関係のないもの(アイドルのポスターや謎の木刀など)が結構あるということです。結局、京都らしさだけじゃないものが、観光地の雰囲気を作っているのではないか。京都と関係のないものも含めて、非日常的な空間が土産物をめぐる場に形成されているという結論をデータで裏付けて論じました。奇しくもそれは、祇園祭の宵山で感じた非日常性ともつながっていることにも気づいたのです。
自分の足で集めた資料から新たな事実が浮かび上がってくる瞬間は、本当に興奮します。迷わず大学院に進むことにし、研究テーマを熟考しました。サバンナや熱帯雨林に行く勇気はどうしても沸かなくて、やはり私は祭りや観光を研究したいと考えていました。そしてせっかくなら、自分がまだ一度も行ったことがない、縁もゆかりもないところに行こうと、関西から遠い東北に行くことに決めました。そこで秋田県仙北市の「角館(かくのだて)のお祭り」に出会ったのです。

曖昧さをはらむからこその多様性、「角館のお祭り」

予備調査的な形で修士1回生の夏に東北の祭りを周りましたが、秋田の「角館のお祭り」(角館祭りのやま行事)は特別でした。ユネスコの世界無形文化遺産、国の重要無形民俗文化財に指定されている非常に有名な祭りですが、観光客として外から見ていると、何をしているのかほとんどわからないのです。祇園祭のように、あらかじめ巡行ルートが決まっているわけではなく、18台の曳山(ひきやま)がバラバラに動き出し、街中を自由に動き回ります。そこにさまざまな戦略があり、たとえば、曳山同士が鉢合わせすると、どっちが先に通るかという交渉が始まります。黄色いたすきをかけた交渉員が秋田弁で丁々発止のやりとりをして、もし決裂したら最後は「やまぶっつけ」という曳山のぶつけ合いをするのです。観客のことは一切考えず、当事者だけがそのコンテクストを理解しており、しかも心から楽しみ没入している。わからなかったからこそ、興味がわいたのです。この祭りは非常にたくさんの暗黙のルールから成り立っています。しかもそのルールが曖昧さをはらんでいるので、多様な行動が生まれてくる。そこからいかに祭りの興奮が生まれるのか。それが私の修士論文のポイントでした。
フィールドワークをするにあたり、私は幸運にも、安藤醸造という味噌と醤油を作る会社の社長さんに出会いました。その社長さんが京大出身だったというご縁で、足かけ3年間、私は居候とアルバイトをさせてもらいながら、フィールドワークをすることができました。フィールドワークでは、現地の人と同じように行動して活動に参与し、同時に観察して徹底的に記録するということをします。それにはやはり一日二日ではなく、相当長い時間が必要です。私はお店のアルバイトとして棚卸しをしたり、若者の下っ端として曳山の掃除をしたり、朝まで飲み明かしたりしながら、経験の中で少しずつデータを蓄積していきました。それによって、地元の人でも言葉では説明できない非言語的なコンテクスト、たとえば祭りが盛り上がる瞬間の感情や、危険を察知したときの緊迫感といった「こんな雰囲気になったら、みんながこういうふうに動くんだ」という感覚を理解できるようになってきました。これが文化人類学のおもしろいところです。フィールドワークは、長い時間をかけて自らの身心を変容させるプロセスだと言われます。身体を通じて現地のコンテクストを理解する。だからこそ、言語ベースのインタビューだけではわからない、祭りにみんなが熱中している理由を肌で分かるようになってくるのです。私自身、このコンテクストに巻き込まれてしまいました。人がなにかご縁があると感じる時というのは、主体的な意図以前に、その場所やキーパーソンといった存在によって、自分がその状況に巻き込まれてしまう時ではないかと思います。そうなったら、もういや応なくそこでつながってしまう。この祭りに巻き込まれて、何年も通うようになったことが、今の私の研究につながっています。私が現在研究テーマとして掲げる「縁と集合的身体の人類学」は、角館での経験から出発したのです。

個人とコミュニティのあいだにあるものを解明する

人口減少に伴って全国的に祭りの担い手も減っていますが、「角館のお祭り」をはじめ、毎年盛り上がりを見せる祭りも多くあります。ただほとんどの祭りで地元出身者だけでは続けられない事態に陥っているため、近年は地元以外の人たちを含めて、一緒にやっていくことをせざるを得ないのです。いわば、縁もゆかりもなかった人たちを巻き込めるかどうかが、祭りの存続の鍵だといえます。それには、現場でともにその興奮を経験することが不可欠だと私は考えます。理屈ではなくて、一緒にやること自体が、人を巻き込んでいく原動力になっているのです。私の研究では、この過程をできるだけミクロに記述することを心がけています。1時間ごとに何人が参加しているか、微細なやりとりから興奮がいかに立ち上がり共有されるのか、人びとがどのような役割分担をしているか・・・それを可能な限り撮影したり、録音したりしてデータを集め、記述していきます。
そこで見えてきたのは、祭りでは地縁的なコミュニティのレベルを超えたつながりが生まれているということです。それをとらえるためには、身体を通じた感情や感覚の共有のメカニズムを解明する必要があります。それは、今までの人類学であまり注目されることのなかった「個人とコミュニティのあいだ」に焦点をあてることでもあります。私はこれを「集合的身体」と呼んでいます。集合的身体は、伝統的な祭だけに限ったものではなく、音楽フェスティバルやスポーツの応援などにも見いだすことができます。祭りの場合は、神社や神さまといったある種の聖性を帯びたものが核になりますが、他の要素も核になり得ます。音楽フェスでも伝統のあるものや、高校野球などは、開催地が聖地になることもありますね。集合的身体を媒介として、縁もゆかりもない人がつながっていくメカニズムを解明することは、人類学だけにとどまらない学際的な視点、そして多様な社会課題へも開かれたテーマだと考えています。
祭りの調査をはじめて約20年がたちました。その間にすっかりおっさんになりましたが(笑)、私の祭りでの立場も若者から中堅へと変わっていきました。フィールドに長く関わることによって、見える景色も変わってくる。一生をかけて追いかけるテーマに出会うことができる。これが人類学的なフィールドワークの魅力だと思っています。いま、20年前の論文をその後の経験を踏まえてアップデートしようとしています。その中で、祭りと地域の未来についても考えるようになりました。祭りは地域の誇りですが、その地域にはほとんど子どもや若者がいないのが現実です。高齢化で神輿が担げず、存続できなくなった祭りもあります。そういう選択もある中で、やはり何としても祭りを続けたい人びともいます。年齢を経ても「ワクワクする楽しみ、高揚する場所」の存在は、単に「地域を守る」ということを超えて、人口減少社会のなかでの新たなつながりの可能性を問うことでもあります。このような視点を得られたのは、1つの研究を続けるだけではなく、さまざまなフィールドに関わることで視野を広げられたからだと思います。

異文化の根源的な共通性、チベットの研究

日本の研究から出発した私は、博士課程に進学してチベット研究をはじめました。最初にチベットを訪れてからこれも20年近くになります。この研究テーマに出会ったのも、偶然の巡り合わせでした。最初に東チベット(四川省の山間部)を訪れた時、バスの窓からキラキラ輝く寺院を見つけ、強く惹かれたのです。私は終点で自転車を借りてその寺院を確認しに行きました。標高3500mはある道を自転車で引き返すのは今考えると無謀でしたが(笑)、そこは本当に居心地がよく、一目で気に入ってしまいました。さらに不思議な出来事があり、当時京大の文学部に招聘されていたチベット人の先生が、偶然にも私が訪ねた地域のご出身だったのです。その先生はチベットの土着宗教「ボン教」の大家で、私はさまざまなことを教えていただきました。あの「輝くお寺」はまさにボン教の歴史ある寺院だったのです。その後四川省成都市の大学に留学して博士論文のための調査研究を進め、ボン教寺院を中心にフィールドワークを行ってきました。このときには、学部以来学んでいた中国語が役に立ちました。何事もつながっているものですね。
人類学の博士論文のゴールは、研究対象についてまとまったエスノグラフィー(民族誌)を書くことです。エスノグラフィーを書くことは、自分が関わったフィールドを多様な視点から描き出すとともに、自分なりの切り口からその全体像をつかんでいくことでもあります。たとえば祭りをとりあげるなら、それをとりまく社会的背景や歴史との関わりにまで目を向ける必要があるのです。私が扱った大きなテーマは、現代チベットにおける宗教復興のプロセスでした。文化大革命のあと、1980年代から始まる寺院の復興と、2000年代以降の経済成長を通じた地域の再編を縦軸に、人びとの日常生活と協働の場の内実とその変容を横軸にして、地道な記述を続けていきました。フィールドではチベット語を一から学び、お坊さん達とともに暮らしながら難解なテクストと格闘し、カルチャーショックと向き合う日々。それはある程度勝手がわかった日本でのフィールドワークとはまったく異なる経験でした。こんなところまで来て自分は何をやっているんだろう、という思いをもったことも1度ではありません。私の支えになったのは「ボン教の人類学的研究」をしている研究者は世界でも数えるほどしかいない、という事実でした。誰もやっていないことをやる、というフロンティア精神は京大の人類学が大切にしてきたことでもありますし、自分の経験と思考を武器にしてまったく新しい研究分野を切り開いていけることこそが、人文系の学問のやりがいであると感じています。
チベット研究に取り組んだことで、さまざまな分野の研究者とのつながりができました。膨大な文献の蓄積を持つチベット文化を理解するためには仏教学者や歴史学者との連携が重要ですし、地域固有の方言の解釈には言語学者の協力が不可欠です。またチベットから出てボン教を追いかけることで、インドやネパール、ブータン、フランスといったフィールドで様々な人びとに出会うこともできました。これらはすべて、研究がつないでくれた縁だと思っています。それは20年前にはまったく意図していなかったことでした。
こうした中で、再び日本にも目を向けることになりました。博士論文で一番熱を込めて書いたのは、やはり祭りに関わる部分でした。チベットでは仏塔のことを「チョルテン」と呼びます。日本の五重塔などと同様、もともとインドのストゥーパにルーツを持つもので、仏舎利などのありがたいものを納めるのですが、私が建設の様子を調査したチョルテンには、それらに加えて穀物、香木、衣服や炊飯器などの生活用品を人びとが納めます。その様子は、祭りのような非日常の興奮をともなっていました。自分の生活の一部を投入することが最大のお布施であり、それぞれの宗教心を発露する場なのです。チョルテンは村を守ってくれると言われていますが、それは宗教の教義のみがそうさせるのではなく、みんながともに身銭を切ったからこそ効果があるという実感が興奮の向こうに成り立っています。こうした考察は、祭り研究の経験から出てきたものです。また、チベットでは身体を用いた多様な修行の技法が伝わっています。特別に秘儀的なものでなくても、寺院に集ってみんなで一斉にお経を唱えたり、僧侶の話をともに聞いて感情を共有したりすることは、まさに集合的身体の表れだといえます。私が研究を通して知りたいのは、個別の文化の差異をこえて人間がもっている根源的な共通性なのです。

研究の社会的意義と「人と社会の未来研究院」での展望

現代の日本社会は少子高齢化に伴う人口減少が進み、「無縁社会」ということばに代表されるように人びとのつながりが希薄化していると言われています。私は縁を二つの側面から捉えています。無縁社会が前提としている縁は、地縁や血縁をはじめとする関係性、すなわち「あいだがら」としての縁です。その縁が弱くなったり切れてしまったりすると、個人は孤立してしまいます。しかし、縁とはそれだけではありません。それが「めぐりあわせ」としての縁です。
家族や地域、職場などのつながりを離れても、人と人とは出会うことがある。ネットワーク技術の発展はそれをグローバルに拡大しています。これまでの理論では、縁もゆかりもない人がとりむすぶ関係をあまり説明しきれていませんでした。祭りが地縁だけにとどまらず、偶然出会い惹き付けられてつながった人たちによって支えられていることは、「一緒に何かをやる」という集合的身体を通じた実践でしか成り立たない。これは「めぐりあわせ」の重要性を物語っています。この共同性がどのように形成されるかを学術的に解明することに、私の研究の大きな社会的意義があると考えています。
現在、私は能登半島地震の被災地に通い、地域の災害復興や地域おこしに関わっている人たちと、お寺を利用して「ローカルな学びの場・交流の拠点」を作るプロジェクト「能登○○(まるまる)大学」に取り組んでいます。私が訪れた地域の中には、震災を経て世帯数が半減した集落もありますし、それ以前から若者がいない全員が60代以上の限界集落も少なくありません。この厳しい現状の中、皆が「祭りだけはなんとかやりたい」「この地域を残したい」というギリギリの環境で挑戦しています。こうしたところに、地域おこしの拠点を作ろうとしている人や、さまざまな支援者が集まってきています。私の研究と社会課題との接点は、まさにこの活動にあります。人口減少と災害の現状を踏まえ、理論的な知見(縁と集合的身体の人類学)を活かしながら、実際にどうやったら「個人」の想いと「コミュニティ」のつながりを、持続的に結びつけ、再生できるのかを実践的に検証しようとしています。
ここまでお話ししてきたフィールドやテーマは、一見バラバラに見えますが根っこはつながっています。私のこれまでの研究活動を振り返るとき、縁があったからこそそれが可能になったと思いますし、これからもさまざまな「めぐりあわせ」があるのだと思います。縁はもともと仏教に由来する概念ですが、アジアの多くの言語に共通し、世代を問わず共感できることばです。それは大切だけれどもあまりに当たり前すぎて、とらえどころのないものでした。それを身体や感覚を媒介として捉えることができないか。これは人文社会科学的な知見と、自然科学的なアプローチが交差する非常にスリリングな領域であると確信しています。さまざまな分断が進む世界においても、人びとは必ずどこかで出会い、ともになにかを成し遂げます。こうした「めぐりあわせ」が新たな「あいだがら」を生み出すダイナミズムを探究するために、多様な研究者が分野の壁を越えて集い縁を結ぶ「人と社会の未来研究院」はこれ以上ない場所だといつも感じています。これからも、つながりの未来について考える研究と実践を両輪として活動していきたいと考えています。

(取材・文 圓城新子)

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