Vol. 1 水野弘之氏(日立京大ラボ所長)後編

2016年6月、日立製作所と京都大学は、「ヒトと文化の理解に基づく基礎と学理の探究」を推進するため、共同研究部門として「日立京大ラボ 」を設立。双方の研究者や学生が一体となり、社会課題の解決やQuality of Life 向上に向けたイノベーションの創出に取り組んでいます。

今回は、現在ラボ長を務める水野弘之氏に、ラボ発足の経緯をはじめ、会社の危機を経験したからこそ挑戦できたという、分野を超えた新たな産学連携のあり方についてお話を伺いました。
(藤川二葉=聞き手/水野良美=構成)

水野弘之(みずの・ひろゆき)

株式会社 日立製作所研究開発グループ基礎研究センタ主管研究長 兼 日立京大ラボ長

1993年日立製作所入社。2002年から 2003年まで米国スタンフォード大学客員研究員。工学博士。米国電気電子学会(IEEE)フェロー。現在は、2020年にプログラムマネージャーに就任したムーンショット型研究開発事業でのシリコン量子コンピュータの研究開発と、人文社会科学・神経科学・人工知能を融合した研究テーマに取り組む。日立京大ラボでは、「ヒトと文化の理解に基づく基礎と学理の探究」をテーマとして、京都大学の有識者・研究者、学生などと共に文理融合のもと新たな社会イノベーションの研究を進めている。

文系/理系の枠を超えて

——後半部では、人と社会の未来研究院特定教授の沼田英治先生(京都大学名誉教授、動物生理学・行動学)にも参加していただきます。

沼田 わたしからは、今後の日立製作所における、文系と理系の人材のあり方についてお聞きしたいと思います。日立京大ラボでは、技術者と人文社会科学系の研究者との共同研究が活発に進められています。そこで、例えば将来的に見て、日立製作所本体の研究部門で文系出身者を積極的に採用し、社内で文理融合を完結させていくような未来像もありうるとお考えでしょうか。

水野 企業では各研究者を評価する必要がありますが、異なる分野や異なるフェーズの研究者に対して、どうしても同一の尺度で比較しようとしがちになります。すると、例えば、直近の事業に貢献できた人ばかりが必然的に目立ってしまい、そうでない人がだんだん退いてしまいます。この先、もし社内での異分野共存を成立させようとするならば、今の評価システムを根本的に変えなければならないと思います。

現在、日立でもグローバル化の流れなどを受けて雇用形態を変えていこうとしていますが、継続して改善を目指すことで、社内において各集団の特性を最大限活かせる評価システムを構築していく必要があります。そうした動きが進んでいけば、研究開発内容の多様性を活かせるようになるかもしれません。けれども直近では、そこまで求めるのは難しい。

ですので、しばらくは社内で完結させるのではなく、例えば文系との連携は大学と協働するなかで対応していくことになると思います。現在、日立京大ラボで実践しているような文系/理系の枠を超えた研究は、現状の評価基準では測れない部分も多いため、やはり支え合い認め合う仲間がいなければ組織として維持できません。その意味では、京都という、事業の中心である東京の評価基準から少し離れたところに自由な研究が認められる組織があり、そのなかに日立の一グループが存在している、という現状の構図は、われわれにとっても居心地がよいものなのです。

沼田 われわれ大学側からすると、文学研究科の博士号を取得した人が、いずれ日立のような会社に入社できる時代が来るとよいなと思います。

水野 現在でも、お客様と連携してイノベーションを生み出すことを研究している者のなかには、文学研究科の博士号を取得した人がいます。将来は、他の分野でももっと増えていくことを願っています。例えば、もともと情報工学とは、自然科学と人文社会科学の中間領域に位置する分野でもあります。まさに人工知能の研究が好例ですが、情報工学は自然科学そのもの、というよりは、若干人間臭いところもある。今後の情報工学には、文系的な考えがより一層多く入ってくるはずです。逆に、そうしていかなければ、きっとある時点で社会に対するアプローチの点で限界を迎えるでしょう。

東京では量子コンピュータの研究を進めているのですが、先日、その価値表現の一環として、アートと量子コンピュータを組み合わせたフェスティバル(*1)を開催しました。量子コンピュータの価値は、量子力学や数式が分かる人であれば理解できますが、それだとどうしても閉鎖的になってしまう。異なるコミュニティの人にも理解してもらう力、表現する力があって初めて技術が活かされます。そのためには、人文社会科学的なアプローチが必要だと考え、デザイナーやアーティストのかたと連携した取り組みを行いました。

最近では「STEM教育(Science[科学]、Technology[技術]、Engineering[ものづくり]、
Mathematics[数学])」に対して「STEAM教育」というものが意識されつつありますが、追加された「A」はArt(芸術)なのです。

これからの産学連携のありうべき姿とは

—— 一般へのアプローチという話題につなげて1つお聞きしたいのですが、日立京大ラボでは、これまで多数のプロジェクトで地域の方々とも連携されています。その際、現地のみなさんの反応はいかがですか?

水野 京都に限らず、北海道のメンバーも地域の方々と一緒にさまざまな実践に取り組んでいます。そこでよく仲間内で耳にするのは、日立という会社の人間が赴くのと、「日立京大ラボ」のように大学の名前も付いた肩書の研究者が赴くのとでは、現地の方々の反応がまったく異なる、ということです。

企業の人間が出向くと、金儲けに来たのかと思われてしまう(笑)。いっぽうで「日立京大ラボ」と言うと、大学の先生方が調査に来てくれて、自分たちの話や悩みを聞いてくれるのでは、と期待を持って受け入れてくださるわけです。結果として、地域の方々の本音や悩みを率直にお聞きできている気もします。

——地域でのプロジェクトを進める際に、日立京大ラボでは、文科省関連の研究支援事業などにも関わっておられますが、そのあたりも含めて、今後企業に求められることは何だと思われますか?

嶺竜治氏(左)と水野弘之氏

水野 省庁関連の研究支援事業において一般的に言えることだと思いますが、とくに近年では企業が参加することが強く求められています。1つには、国によるアカデミアへの投資を何らかのかたちで社会に還元するために、プロジェクトの、とりわけ最終段階で企業が加わるべしとされているのだと理解しています。

ただ、日立京大ラボでは、冒頭(前編参照)で嶺さんが話してくれたように、「先生方と一緒に課題を探すところから始める」という、研究の開始段階から企業が大学に入り込んでいます。多くの大学との連携では、研究の実用化のめどがついた段階で企業が参加することを考えると、めずらしい例なのかもしれません。けれども、今後はそうしたより初期段階からの連携の重要性が高まっていくのではないでしょうか。

今の世の中を見渡してみると、生活ということだけを考えたら、ある程度満たされた時代になってしまったがゆえに、次に何をなすべきかを問うこと自体、もはや容易ではありません。生きるために必要な投資が少なくて済むようになるにつれて、次に何をなすべきかを突き詰めて考えていくと、「人間とは何か」「われわれは何のために存在しているのか」という本質的な問いにぶち当たる。日本ではこの先、そうした問いをベースに研究や事業の方向性を考えていかねばならなくなるはずだ、と考えています。

沼田 わたしの両親の世代などは、若いときには終戦直後で物も何もない時代でしたから、考える暇もないし、逆に言えば悩みもなかったわけです。けれども現代ではそうはいかず、水野さんのおっしゃるとおり、誰しもが次に何をしたらよいのか分からない状況に置かれています。

水野 わたし個人としても、日立に入社したときには半導体事業が全盛で、技術的な課題も明確だったため、研究テーマ探しに困ったことはありませんでした。おかげで旺盛に論文も書けていましたし、学会発表もできていました。けれども次第に産業が成熟してくると、次に何をすべきか模索し始める必要性が生じ、結果としてまったく異なる研究スタイルへと変化していった。現代では、ほとんどの分野が同様の事態に直面しているのではないでしょうか。この先は、誰かに言われてやるのではなく、次になすべきことを自ら見出せる人こそが、きっと次の世界を作っていくようになるはずだと信じています。

ユーザー目線から拡がる技術の可能性

——ではここで、われわれ研究院が主なテーマの1つとしている、文理融合のあり方に関する質問を1つさせていただきたいと思います。まず前提にあるのは昨今よく耳にする ELSIの概念で、倫理的・法的・社会的課題(Ethical, Legal and Social Issues)の頭文字をとったものですが、「新規科学技術を研究開発し、社会実装する際に生じうる、技術的課題以外のあらゆる課題を含むもの」(*2)とされています。ここでは、その科学技術ありきの考えに人文社会科学の側から見た視点を加え、ELSIとは逆向きの「科学的・技術的課題(SATI/Scientific and Technological Issues)」を考えてみてはどうか、と提案してみたいのです。
例えば25年後のあるべき社会像を提示したときに、そこに生じうる社会問題を発掘・探究し、その課題解決の手段として、逆に科学技術を「使う」イメージです。より具体的に思考するため、一例としてゴミ問題を考えてみてもよいかもしれません。その際、解決策としてすぐに思いつくのは、新しいリサイクル技術の考案といったところでしょうか。

しかしここでは、もっと根本的に、ゴミの概念自体を捉え直してみる。つまり、そもそも言葉とは、ゴミに限らず、時代や文化が異なれば定義や概念も変化するわけですから、そうした考えをベースに、いっそゴミに付随する「捨てるべきもの」という概念をなくしてしまってはどうか、と。その際、視点を変えて、ゴミを「捨てる」概念のない世界を作るにはどうしたらよいのかを、科学技術を使って考えてみる。こういったことについて、何かお考えがあればお聞かせいただけますか?

水野 関連して1つ思い当たることがあるとすれば、技術に対する考え方が、世代によってずいぶん異なってきていることが挙げられます。新しい技術が出てくると、ベテランの技術者たちはすぐにそれらを自分にとって「使えるか、使えないか」の基準で判断してしまい、あれもダメ、これもダメとなってしまう。結果として、一向に新しい技術が使えない。

いっぽうで、若い人たちの議論を聞いていると、「新しい技術に対して、これを使ったらこんなことやあんなことができるかも」と積極的です。技術をツールやオポチュニティとして捉えている。ゴミに対する考え方も、今の生活において「使えるか、使えないか」の基準で見た場合には、捨てるべきもの=ゴミ、になるわけですが、視点を変えて使う側の能力の問題として捉えるならばどうでしょうか。すると、ゴミでなくなるものもきっとたくさん出てくる。実際、すでにそのような考え方で事業をやられているかたもたくさんおられます。問題は、発想や考え方の違いであり、世代によって技術やモノに対する考え方も変わっていく可能性があると思います。

日立京大ラボが描く未来

——最後に、日立京大ラボの活動を振り返って、本学の人文社会科学系との連携にどのような意義を感じておられるのか、今後の展開への期待も含めてお聞かせください。

水野 少し使い古された感じもしますが、マズローの「欲求5段階説」(*3)という理論がありますね。下から「生理的欲求」「安全の欲求」「社会的欲求(所属と愛の欲求)」「承認欲求」「自己実現の欲求」となり、上に向かうにつれてパーソナルな欲求へと変化していく。低次の欲求は人類共通のものが多いので合意形成が比較的容易です。対して高次のパーソナルな欲求は個々に異なるため、一人が満たされても他の人は満たされない状況になり、対応がどんどん難しくなってくる。

一企業として考えた場合、そのように多様化する欲求にどうアプローチしていくかは非常に大きな問題です。利益を上げるうえで最も手っ取り早い方法は、同じものを展開し、事業規模を拡大していくやり方です。しかしそれだと、パーソナルな欲求が十分には満たされない。

そこで今注目しているのは、日立京大ラボでも共に連携プロジェクト(*4)を継続している、哲学がご専門の出口康夫先生(京都大学大学院文学研究科教授)が提唱する「混生社会」という概念です。「混生」とは、アフターコロナの社会を再構想するにあたり考えられた概念で、「共生」の考えをさらに推し進め、異質な者同士が「混ざり」あい、三密的環境のもとで共に暮らすことを意味します。

ここで言う「異質な者」には、「様々な能力や国籍や文化的宗教的背景を持つ人々に加え、人間以外の生物(例えば予防接種や避妊手術を施された街猫)や介助・介護ロボットやAIといった人工物」も含まれます。先生はさらに、混生とは「『一人では何もできない』という人間の根源的な弱さを相互的な身体ケアを通じて受容するプロセスである」とも言われている(*5)。

ずばり、今後世界レベルで構想されていくであろう、混生社会に対する企業としてのアプローチのあり方については、これからもぜひ継続して議論させていただきたいと思っています。おそらく日立だけでは議論も成り立たず、研究のためのフォーメーションも組めないでしょう。将来的にはその分野で、世界でも先陣を切っていけるといいですね。

——今後は、ますます企業とのパートナーシップに挑戦してみたいと考える研究者や、大学との連携に興味のある企業も増えていくと思うのですが、ハードルが高く感じられるのか、なかなか踏み出せていない人も多いように思います。もしよろしければ、そうした方々へのアドバイスをいただけますか?

水野 重要なのは、やはり相互の歩み寄りです。もちろん我慢しなければならない部分もあるのですが、双方が歩み寄り、オーバーラップする部分を増やして、お互いの違いを楽しむ。まずは恐れずに、大きな心構えで臨むことが肝要です。さらに言えば、双方にまったく接点がないのもまずいですし、いっぽうで互いの領域が重なりすぎてもつまらないため、ほどよいオーバーラップを築くことこそがカギになるかもしれません。

改めて日立京大ラボ設立当初のことを振り返ってみても、先ほど加藤さんのお話(前編参照)にもあったとおり、当時は東京にいた頃から現在に通じる課題意識をある程度はもって研究していました。情報工学を突き詰めると、哲学的な考えがなければうまくいかないことに気づいていた。その状態で京都の地で哲学系の先生方と接点を持つことができ、今に至るわけです。

今後、同様のパートナーシップを増やしてくのであれば、まずはいったん各自が取り組んでいる目の前の仕事からは距離を置いて、本来やるべきことを振り返って課題意識の範囲を広げる。知識も広げておいて、ほどよいオーバーラップが作れるパートナーを探すことが大切ではないでしょうか。細菌学者のパスツールの言葉に「チャンスは心構えした者の下にほほえむ」というのがあります。心構えは先に申し上げた課題意識であり、それをしっかりと準備しておく必要があると思います。そうでないと、最良のパートナーが目の前を通っても、その存在に気づくことができないので。

脚注

*1 「量子芸術祭 Quantum art festival 1/4」。2022年12月8日~13日まで、六本木のAXIS Galleryで6日間にわたって開催された。
https://www.artfesq.com/(アクセス日:2022年12月20日)
*2 大阪大学社会技術共創研究センター「ELSIとは」を参照のこと。
https://elsi.osaka-u.ac.jp/what_elsi(アクセス日:2022年12月20日)
*3 1954年にアメリカの心理学者アブラハム・マズロー(1908‒1970)が著書『人間性の心理学』で提唱した説。「人間は自己実現に向かって成長する」と仮定し、人間の欲求を5段階の階層で説明したもの。低次の欲求が満たされるごとに欲求の階層が上がっていくとされる。
*4 代表的なプロジェクトの1つに学術知共創プログラム「よりよいスマート WEを目指して」(Smart WEプロジェクト)がある。本研究では、国内外で生活空間のスマート化・DX 化が急速に推し進められ、社会に正負さまざまな影響を及ぼし始めているなかで、リアルとバーチャルな WE(人間関係・絆・共同体)の貧困化という「WE問題」に焦点を当て、逆にWEを再活性化するスマート化・DX 化の処方箋を描くことが目指されている。
https://www.smart-we.bun.kyoto-u.ac.jp/(アクセス日:2022年12 月20日)
*5 日立京大ラボ編著『BEYOND SMART LIFE:好奇心が駆動する社会』日本経済新聞出版、2020年、335頁。