若手出版助成事業

師田 史子『日々賭けをする人々――フィリピン闘鶏と数字くじの意味世界』

2025.08.11

著書:『日々賭けをする人々――フィリピン闘鶏と数字くじの意味世界
著者:師田 史子(京都大学アジア・アフリカ地域研究研究科 助教)
出版社:慶應義塾大学出版会
発行年月日:2024年3月20日

書籍紹介

 本書は、「なぜ人は賭けるのか」という私の素朴な疑問をさまざまな角度から追究した一冊です。人生自体が賭けの連続だ、とはよく言いますが、本書はそのような漠然とした賭けではなく、賭博にハマる人々、つまり賭博に興じて金を賭ける人々にフォーカスしています。なんでこのテーマを、しかもフィリピンで?闘鶏と数字くじ?と思われる方は多いかもしれません。その理由は単純で、私がフィリピンで、賭博にハマる人々と数多く出会ったからです。
 少し前置きすると、本書は地域研究と文化人類学的な視点から賭博やフィリピン社会について論じています。地域研究も文化人類学も、現場に自ら足を運び、そこで生活しながら、人間模様や社会構造を考えることを大切にしています。私も例にもれず、フィリピン・ミンダナオに住み込んで調査をしました。この現地調査で得た人々との出会いや気づきや経験が、本書を構成しています。
 日本で生まれ育ってきた私がフィリピンに行くことで、今まで無意識的に身体化していた世界の捉え方を完全に捨て去り、全く異なる世界に触れられるかと言うと、そうではありません。人々との出会いや調査地での気づきには、大きなバイアスがかかっています。つまり、そもそも私が日本でも、賭博に興味があったという始発点です。パチンコや競馬に興じていた極めて私的な記憶と経験が、本書とは不可分に結びついています。
この意味で、本書には客観性が欠けていると言われても、なにも反論できません。しかし、生活の質感や人々の情動も含みこんで人間の営みをありありと描き出すという試みは、多かれ少なかれ、描き出す側が有している「世界を捉えるフィルター」を通過することで立ちあらわれます。本書は「調査」以前から賭博に親近感を持っていた調査者によって記されたフィリピンの賭博論であることを、初めに断っておかねばなりません。
 「世界を捉えるフィルター」と書きましたが、このフィルターは変質しうるものです。調査地に暮らし、人々と日々数字くじを購入し、闘鶏家に鶏の話を聞き、勝った負けたで大騒ぎをしていると、日本で賭けているのとは少し異なる「賭けの世界」が垣間見えるようになってきます。それは例えば、闘鶏家たちによる微に入り細を穿つような鶏の分類や鶏への複雑な感情の発露、数字くじ愛好家たちによる生活空間からの数字の読み解きや結果の恣意的な解釈、そして幸運や不運の語りといった様々な場面や実践を通じて見えてきます。調査地の賭博者に教えてもらうだけでなく、共に賭け、勝った喜びを分かち合い、負けた悲しみを慰め合うような時間と情動の共同によって、世界を捉えるフィルターは徐々に形を変えていきます。調査者である「私の」世界の捉え方の変転によって浮かび上がってきた賭博者たちの姿を、本書は扱っているとも言えます。
こうした見方を通じて本書が記しているのは、一回性に満ち溢れながらも、共同性や連続性を多分にはらんだ賭博者たちの世界制作のありかたです。そして、ある意味確実で退屈な毎日を、賭けというアクションによってアクティベートさせている人々の姿です。本書で私は、「なぜ人は賭けるのか」という問いに対して「面白いからである」というこれまた単純な答えを付しています。しかし、面白いと一口にいっても、その内実は無限大です。私が出会ったフィリピンの賭博者たちにとっての賭博の面白さとは何なのだろうかということを、「日々をアクティベートさせる」という点を切り口として論じています。
 賭博者たちの色とりどりの生き様を描き出すことに注力していることは間違いないですが、本書のもう一つの魅力は、賭博という現象からフィリピンの政治・社会を眺めるという側面です。植民地主義はフィリピンの人々の賭博の営為にいかなる影響をもたらしたのか。国家権力とのいかなる関係性のもとで今日の賭博産業は成り立っているのか。フィリピン社会において、賭博の道徳はいかに語られるのか。賭博者たちは、自らや他者の賭博行為に、いかなる道徳的判断を下しながら、賭けているのか。どのような状況下で、どのような論理を用いながら、国家や人々は賭博を悪とみなすのか。このような問いを掲げながら、国家による統治のあり方や、人々による道徳をめぐる実践や語りのあり方についての考察にも紙幅を多く割いています。マクロな出来事とミクロな事象を繋ぎ合わせるようにして、フィリピン賭博文化の相貌を多角的に照らし出すことが、本書の大きな試みです。
 本書は徹頭徹尾フィリピンを舞台としています。それでも、そこから緩やかに浮かび上がる世界はきっと、みなさんとなじみのある世界ともつながっているはずです。