苫名 悠『失われた院政期絵巻の研究』
2024.10.23
著者:苫名 悠(佛教大学歴史学部 講師)
出版社:思文閣出版
発行年月日:2024年3月20日
書籍紹介
「院政期絵巻」とは、日本の院政期に制作された一群の絵巻作品の総称です。本書では、その中でも特に12世紀後半の後白河院政期に制作されたと推測される諸作品を考察の対象として取り上げています。
院政期絵巻は、一部の例外的な作品を除けば、現存する日本最古の絵巻群です。そして、現存する諸作品——例えば、《伴大納言絵巻》(出光美術館蔵)・《信貴山縁起絵巻》(朝護孫子寺蔵)・《鳥獣人物戯画》(高山寺蔵)など——を眺めると、この時期の絵巻は技術的にきわめて高い水準に到達していたことがわかります。そして、その中でも、当該期の熱心な絵巻収集家として名高い後白河院が、自身の御願寺・蓮華王院の宝蔵に納めていたとされる絵巻は、院の没後にもいわゆる「宝蔵絵」として珍重されました。後世において新規の絵巻制作が行われるにあたっては、これらの絵巻が参照されるべき古典としての役割を果たしていたことが知られています。
以上述べてきたように、日本美術史、とりわけやまと絵の歴史における院政期絵巻の重要性はきわめて高く、当然のことながら、これらの絵巻は早くから美術史学の研究対象として取り上げられてきました。
一方で、史料にその名が見えるものの原本が失われた院政期絵巻の作品も多く、数の上では、失われた作品が現存する作品を大幅に上回ります。しかしながら、これらの作品が美術史学の研究対象として取り上げられる機会は多くありませんでした。そのため、これらの作品をめぐる美術史学上の諸問題について、これまでに十分な議論がなされてきたとはいい難いのが現状です。このような状況下で、院政期絵巻とは何だったのかということを論じようとするならば、そこに浮かび上がってくる院政期絵巻の像は、原本が現存する作品に過度に依拠した、かなり歪んだものとなってしまう可能性が高いでしょう。
そこで本書では、原本が失われた諸作品を積極的に取り上げ、その美術史的位置について検討することを通じて、院政期絵巻の実態をより適切に把握することを目指しました。そのために、本書では下記2点の課題を設定しました。
第一の課題は、原本がすでに失われた作品のうち、その原本が院政期絵巻であったとすでに認められている作品を個別に取り上げ、現存する模本などを利用してその絵画表現を分析することにより、各作品の美術史上の位置を探ることです。具体的な作品としては、《後三年合戦絵巻》と《彦火々出見尊絵巻》を取り上げました。
第二の課題は、原本がすでに失われた作品で、かつその原本が院政期絵巻であったか否かが定かでない作品を個別に取り上げ、現存する模本に見られる絵画表現を分析することにより、その素性を明らかにすることです。具体的な作品としては、《勝絵》と《異本病草紙》を取り上げました。
本書では、序章および終章を除いた全7章を通して、上記の二つの課題と、これらに付随して生じるいくつかのトピックに向き合い、筆者なりの考察を展開しました。その過程で得られた院政期絵巻研究の展望として、終章において、主に以下3つの見通しを提示しました。
一点目は、複数の院政期絵巻の制作に携わったと目される、いわばプロデューサーのような存在に注目することです。具体的な事例を紹介する紙幅はありませんが、院政期絵巻の作品の中には、互いに作風が異なり、それぞれ異なる絵師の工房によって描かれたと推定されるにも関わらず、両者の間に共通する志向や手法が看取されるものがあります。このことは、これらの絵巻に共通して認められる志向や手法が、実際に絵巻を描く絵師よりも上のレベル、すなわち、当時多くの絵巻制作に携わったプロデューサー的人物によってもたらされたものである可能性を示唆します。このような人物に注目することにより、院政期絵巻の作品群を総体として捉えることができるようになるかもしれません。
二点目は、院政期の宮廷社会における尾籠な戯画の制作と享受に注目することです。本書の考察を通じて、院政期絵巻の特質として、宮廷社会の上層に位置する人物の命により多大な費用や高度な技術をもって制作されるにもかかわらず、尾籠な主題が選択される事例があったことが明らかになりました。このことは、院政期における絵巻の制作と享受の様態を探るうえで、非常に示唆的だと思われます。
三点目は、後世における院政期絵巻受容の様相を探究することです。院政期絵巻が後世において参照されるべき古典として受容されていたことは、既知の事柄です。ただ、本書の考察を通じて、一言に院政期絵巻の受容といってもそこには様々な形があることが、具体的な事例の分析により明らかになりました。今後、さらなる個別の作品分析を通じて、後世における院政期絵巻受容の様相を通時的に記述することができれば、院政期絵巻の美術史上の意義をより的確に把握することが叶うでしょう。
以上が、現段階における筆者なりの院政期絵巻研究の到達点です。ただ、結局のところ、総体としての院政期絵巻の様態は依然として茫漠としており、研究はようやく緒についたところです。今後、美術史学研究としての深度を増しつつ、ここで提示したような課題に引き続き取り組んでいきたいと考えています。