若手出版助成事業

朱 穎嬌『尊厳の法理論――ケアと共感に基づく人権のあり方』

2024.10.06

著書:『尊厳の法理論――ケアと共感に基づく人権のあり方
著者:朱 穎嬌(山口大学経済学部 講師
出版社:弘文堂
発行年月日:2024年3月19日

書籍紹介

 人間の尊厳とは何か?この問いは実に神秘で難解であり、古今東西の先人の叡智をもってなお確答を示すことができない。本書は第1部を通じて、時空を超えた人間の尊厳の軌跡を辿っていた。すなわち、古代の叡智から中世の信仰、ルネサンスの輝き、そして啓蒙時代の理性へと、西洋の歴史における尊厳の観念の変遷を追うと同時に、仏教や東アジアの伝統思想に宿る尊厳観にも光を当て、東西の思想の融合点を探った。人間の尊厳は、西洋および東洋の歴史において、人間本性に関する理解の違いに由来する異なったアプローチにより論証されたり、構築されたりすることはあるが、常に人間本性と不可分なものとして捉えられてきた。この意味では、人間の尊厳という概念自体も、歴史を通じて、人間にとって本質的なものになってきているように思える。

 現代社会における人間の尊厳は、法の世界にも浸透し、人権の基礎とも見なされている。しかし、人間の尊厳の哲学的・神学的遺産に影響され、法概念としての人間の尊厳に関してもしばしば超越論的な根拠づけが行われてきた。このような論理は、現実の人間存在を正しく把握していないのみならず、現代における人間の尊厳の規範性、または期待された規範性を十分に実現できない。本書の第2部では、ドイツ、フランス、アメリカという三つの国を舞台に、尊厳がいかに法的保障に昇華されてきたかを丹念に紐解くことで、人間の尊厳という概念をより適切に説明するための重要な視点を得た。人間は身体と精神の統一体であり、身体的存在を前提にして、様々な身体活動・身体機能により成り立つ精神的存在である。したがって、人間の身体性を捨象したいかなる尊厳論も、人間本性に対する誤った想定に由来するものとして支持できない。

 そこから筆者は、人間の身体性とそれに伴う脆弱性やケアのニーズ等に着目して、ケアの共同人間的な連帯に基づいた、関係概念としての人間の尊厳という新たな視座を提示しようとした。つまり、人間は普遍的に脆弱性を抱える身体的実存であるため、誰しもがケアを必要としており、そして、ケアの共同人間的な連帯において十分にケアされるべき存在である、ということの相互承認が、関係概念としての人間の尊厳を構成する。このような人間の尊厳は、個人の内に閉じた静的な概念ではなく、人々の関係性の中に生まれ育つ動的な概念であり、また、人々の尊厳感覚として存在しているが、そうした感覚を成り立たせる基盤として「ケア」と「共感」は欠かせない。私たち一人ひとりが抱える脆弱性は、決して弱点だけを意味するのではなく、共感とケアの関係性を生み出す力でもある。

 第3部では、動物やAI、さらにはクローン人間の尊厳という、一見すると矛盾にも思える概念を真剣に検討することで、「人間とは何か」という根源的な問いに立ち返る。関係概念としての人間の尊厳は、人間同士の関係性に対する規範であるため、それ自体として他の存在者にそのまま適用されることもなければ、他の存在者への道徳的配慮を要求する新たな規範の形成を妨げることもないと思われる。しかし、科学技術の進歩が人間の本質的な姿を変えうる時代において、こうした人間の尊厳は果たして妥当であり続けるだろうか。本書の最後には、トランスヒューマニズムという未来への扉を視野に入れて、人間の脆弱性が科学技術によって克服されうるのかを検討し、未来の人間像を模索した。

 壮大な歴史の流れの中で育まれ、そして未来へと開かれた人間の尊厳は、無意識のうちに私たちの生活に浸透している。ただ、その無意識を意識へと昇華させ、人間の尊厳の「正体」を探求することは、常に、人間であることの意味を深く問い直すため、決して容易ではない。筆者も含め、人間の尊厳に関する知的冒険は今後も続くのであろう。