若手出版助成事業

楊 峻懿『海を越える水産知:近代東アジア海域世界を創った人びと』

2024.10.02

著書:『海を越える水産知:近代東アジア海域世界を創った人びと』
著者:楊 峻懿(蘇州大学歴史学系 講師
出版社:京都大学学術出版会
発行年月日:2024年3月31日

書籍紹介

 東アジアにおいて漁業の近代化を最初に実現したのは日本であった。その際、重要な役割を担ったものの一つに農商務省水産講習所がある。そこで実施・展開された水産教育は、学制・授業科目ともに明確に定められ、単に水産先進国であったノルウェーをはじめとするヨーロッパ諸国の知識の受け売りではなく、新たに日本で再構築しなおされた日本独自の「学知」を伝えるものであった。本書でいう「水産知」とは、かかる「学知」は勿論、水産に関わる様々な技術や生活スタイルなども含んだ総合的なものであり、それが清末民国期の中国人留学生を通じて、日本から中国へと伝えられたのであった。

 本書では、明治日本の水産業の発展を横目に見ながら、清末民国期の中国政府が留学生を通じていかに日本の「水産知」を受容・吸収し、水産政策・教育を模倣し、中国自身の水産教育・水産業に着手・反映させたのか、水産業の重要性を認識した中国政府や、育成された水産人材がいかなる活動を展開したのかを明らかにしている。

 本書は序章、第1章~第5章、終章から成る。第1章と第2章では、清末民国期の水産学校における教育状況、第3章と第4章では、そこで育成された水産人材の具体的な活動、第5章では、1945年以降の中国における水産事業の復興およびそこで認識された課題について、それぞれ詳細に検討を加えた。

 序章「日本における近代的『水産知』の蓄積と中国」では、明治日本の農商務省水産講習所において行われた水産教育を整理し、「水産知」の意味について定義を施すとともに、先行研究を分析した後、本書における問題関心の所在と研究の方法、使用する史料などについて解説を行った。

 第1章「清末民国期の水産教育と直隷水産講習所」では、中国初の水産学校である直隷水産講習所を取り上げた。清末に多くの知識人・実業家は日本の水産教育・水産業を視察した後、これを模倣して中国の水産教育を起こした。1910年、天津に創設されたこの講習所は、日本の農商務省水産講習所をモデルとした。しかし当時、中国にはいまだ水産教育に携わる人材がいなかったため、4名の日本人教員を招聘して水産教育を担当させ、人材育成にあたらせた。本章では、講習所の教員の履歴、カリキュラム、育成された主な水産人材、および彼らの卒業後の活動を明らかにした。

 第2章「民国初期における江蘇省立水産学校の人材育成への模索」では、上海の江蘇省立水産学校を俎上に載せ、直隷水産講習所と比較しながら、水産人材の育成の特色について検討した。直隷水産講習所では日本から直接に教員が招かれたのに対し、江蘇省立水産学校では、まず学生を日本に派遣し、彼らの帰国を待って水産教育を開始した点に特徴がある。その後も優秀な卒業生を日本の水産教育機関へと派遣し研究を行わせた。1920年代には留学生が次々と帰国し、母国の水産学校や水産科に教員として採用され、次世代の水産人材を養成するなど、水産界の中核を担うようになったことを指摘した。

 第3章「1930年代江蘇省の海賊問題に対する政府の対応と漁民武装自衛」では、1930年代に問題となった中国人の海賊問題を取り上げた。第1世代・第2世代の水産人材は水産学校卒業後、水産教育機関のみならず、政府機関においても重要な職位を担い、水産界で指導的な役割を果たした。彼らは水産政策や水産行政は勿論、現場の漁民の問題にも着目するようになった。当該時期少なからぬ漁民が生活困難に直面し、漁場の秩序が崩壊し、最後には海賊となって、政府の注目を集めていた。海賊問題は最終的には「漁民自衛」という漁民自身の武装化によって解決が試みられたことを明らかにした。

 第4章「1930年代の中国における水産教育の変遷」では、水産人材による漁民の救済・教育について検討した。海賊などの影響を受けて漁村が破産的な状況に陥っていたなか、江蘇省政府は水産人材と協力して漁民の生活にまで配慮するようになり、秩序の危機的状況の打開、生活の救済、漁業の重視に重点を置いた事業を展開した。また江蘇省如皋県を取り上げながら、該地の漁民に実施された生活改善、水産人材による教育活動の実態を掘り起こした。

 第5章「1945年以降の中国における水産事業の復興と漁民救済」では、戦前に育成された水産人材の活動、水産業・水産教育の復興状況、そこに内包された腐敗などの諸問題を分析した。具体的には、復員軍人を対象とした中央訓練団水産技術人員訓練班、国連が中国に支援した動力船を使用しつつ新たな人材を育成した漁業技術人員訓練所などを取り上げた。そこでは救済物資の分配など復興事業が進められたものの、それらを横流しして私腹を肥やすなど、不正が横行し、復興が進まない実態を明らかにした。

 終章「近代東アジアにおける水産人材の流動と『水産知』の伝播」では、本書で検討した近代中国における水産教育の実態を総括した後、日本の植民地統治下にあった台湾や朝鮮の事例にも触れながら、日本の「水産知」がいかに東アジアに展開したかについてまとめを行った。

 以上のように、本書は、近代中国における日本の「水産知」の伝播・受容・定着の過程を、水産・漁業史、留学生史、政治史を通じて論じたものである。