若手出版助成事業

須藤 健一『橋川文三の政治思想――三島由紀夫・丸山眞男・柳田国男との思想的交錯』

2024.07.26

著書:『橋川文三の政治思想:三島由紀夫・丸山眞男・柳田国男との思想的交錯』
著者:須藤 健一(京都大学大学院法学研究科法政理論専攻博士後期課程修了)
出版社:慶應義塾大学出版会
発行年月日:2024年3月25日

書籍紹介

 近代日本の「政治」をめぐる「心優しき孤立者」の思想的遍歴と精神史的帰趨

 橋川文三(一九二二~八三)は、日本近代の最も優れた文学者の一人であった三島由紀夫の政治思想的著作「文化防衛論」について、最も説得的な批判を行った人物であり、戦後日本の政治学・政治思想史研究のみならず、文芸評論や知識社会学の観点からも極めて重要で魅力的な思想家の一人でありながら、現在まで『日本浪曼派批判序説』や『ナショナリズム』など、一部の主要著作が研究されるに留まっていた。橋川の生涯全般に亘る思想的遍歴に注目した研究は、寡少であったと言える。

 本書は、橋川についての政治思想史研究であり、京都大学大学院法学研究科博士学位論文「橋川文三の政治思想――中間者の眼」(二〇二二年三月)を基に、大幅に加筆修正を行ったものである。本書では、橋川の政治思想について、「橋川の生涯における思想的立場の全体像を捉えること」を最大の問いとして、彼の思想形成過程や変容に留意しつつ、三島由紀夫・丸山眞男・柳田国男という傑出した三者との比較という視座により、総合的・包括的に考察することを試みた。

 本書では、能う限り橋川の言葉に寄り添い、橋川のテクストに即した考察を行うことに努めたつもりであるが、本書から仮に何がしかの現代的意義を見出し得るならば、それは以下の二点に求められると考える。

 第一に、近代的政治概念に回収されず、歴史的な射程の広い橋川の政治理念を検討することにより、近代的政治観の自明性を改めて問い直す反省的考察を促し、現代政治に関するアクチュアルな諸種の課題を再検討する上での知見を提供することである。橋川にとって、自己と他者との関わり全てが「政治」なのであった。

 第二に、橋川の昭和超国家主義研究に特に着目し、現代テロリズムの問題について改めて考察するための基礎資料を提供することである。私見によれば、橋川の手になる一連の昭和超国家主義研究は、我々がテロリズムの問題について改めて考察するための最良の素材となり得る。現代社会においては自己の抱懐する「真理」や「正義」の実現のために物理的暴力の行使も辞さず、危険な政治的帰結を招来するテロリズムの問題への対処が焦眉の急の課題となっている。現代社会のテロリズムは、二項対立な観点から「真理」や「正義」を措定する「真理の政治」の一類型であると定位し得るが、それゆえに「非真理」や「不正義」への不寛容や排除が生じ得るのであり、危険な政治的帰結を招来する。橋川は「昭和超国家主義の諸相」や『昭和維新試論』において、昭和維新の実現を待望した不幸な青年や右翼思想家たちの人間的幸福の探求という原初的心情の問題に注目している。橋川における思想史研究の基本的姿勢とは、考察の対象が仮にどのような否定的対象であるにせよ、黙殺やタブー視による思考停止を回避し、「まさしくある一般的な人間の事実としてとらえなおすことによって、かえって明朗にこれに対決する思想形成が可能である」(『近代日本政治思想の諸相』あとがき)という認識であった。橋川は、最終的にはテロリズムによる性急な解決については明確に否定しているものの、彼らに対し一貫して比類なき暖かな眼差しを向けながら、社会から切り離され見捨てられた――Verlassenheit――彼らが何故にそのような「行動」に至ったのかを、当時の社会情勢や時代背景を踏まえつつ丁寧に分析しており、彼らのみに責任を帰属させない幅広い視野から考察を行っている。

 併せて本書では、慶應義塾福澤研究センター「橋川文庫」に収蔵されている橋川の旧蔵書籍、日記、未公刊の原稿、講義ノートなどの貴重な一次資料を活用させていただくことにより、後継の橋川研究に資する基礎資料を提示することも意図した。先行研究には見られない新しい事実が発見された本文中の橋川日記解読部分や、橋川の単著及び『橋川文三著作集』への未収録作品十一本を掲載した巻末の「資料紹介」を参照していただければ幸いである。

 戦中に保田與重郎のロマン主義に感化された経験を有した橋川の生涯における思想的立場は、近代主義的立場から日本ファシズムの病理を剔抉する丸山政治学との批判的対決を経て、「常民」の営為の歴史性を重視しつつ国民全体の幸福を目指す柳田民俗学における保守の思想を受容し、近代日本の隘路を美的行動主義によって突破しようとする三島文学における突破の思想を克服したのであった。

 橋川は、保守の思想の受容後も西郷隆盛論(「西郷隆盛の反動性と革命性」)や渥美勝論(『昭和維新試論』)で突破の思想への共感を示唆していたが、いずれの思想にも安易には与さず、近代日本の抱える様々な課題を克服するための新たな思想を模索し続けた。橋川の政治思想における最大の独自性は、丸山の近代的政治観を乗り越えながらも、突破の思想と保守の思想の両義性を堅持する「中間者の眼」であったと言える。

 本書では、橋川における保守の思想の受容と肯定的立場の継続に比重を置いた解釈を施したが、比較の対象が三島・丸山・柳田の三者に留まっており、今後も橋川の人間と思想、特に一九七〇年代以降の橋川の思想的立場について勉強を続けていきたい。

 二〇二二年は橋川の生誕百年目を迎える節目の年、二〇二三年は没後四十年目を迎える節目の年であったが、現在も一般的には知られざる思想家である橋川研究の一層の興隆と発展とを切に願う。