対談企画「立ち止まって、考える」Q&A

2023年2月11日に開催した対談企画「立ち止まって、考える」で、当日お答えできなかった質問に本ページでお答えします。

R5.3.7掲載 (new!)

Q2.
コロナ禍というのは大人だけでなく、子どもたちにも大きな影響を与えたものと思います。子どもたちと再び動き出すために、どのような形でwell-goingの考えを伝えていくのがよいでしょうか? 両先生のご見解をお伺いしたいです。

A2-1. 出口教授からの回答

おっしゃる通り、コロナ禍は子どもたちにも大きな影響を与えていると思います。子どもたちと共に再び動き出すためには、身体を用いた「共同作業」、それもなんらかの「冒険」を伴う共同作業、即ち「共冒険」の体験を積んでもらうことが重要だと思います。「みんなでお神輿を担ぐ」というのも、そのような身体的な共冒険の一例です。このような共冒険においては、他人の存在、他者との共在を、「重たい」とか「疲れる」といった身体感覚と共に感じることができます。そのことで、自分の身体の脆さ、傷つきやすさとともに、相手の身体の脆さ、傷つきやすさに気づく。そのような気づきこそが、「私のwell-being」ではなく「われわれのwell-going」を考える出発点になりうるのではないでしょうか。

A2-2. 熊谷准教授からの回答

大人と子どもではwell-goingのあり方も違ってくるようにも思われますので、大人側が子ども側に伝えていくという形だけではなく、子どもと一緒に、well-goingの形を考えてみるというのはいかがでしょうか。

R5.2.28掲載

Q1.
昨今、新興宗教から全ての宗教を一括りして宗教そのものが悪者のように扱われ、魔女狩りのような危険な世の中の風潮を感じます。個人的にはあらゆる宗教の教え、エッセンスを自由につまみ食いしたら生きやすいのかと思うのですが、両先生のご見解をお伺いしたいです。

A1-1. 出口教授からの回答

鎌倉時代の禅僧・禅思想家である道元は、禅ひいては仏教一般では、「面授」つまり人と人とが一対一で顔をつき合わせる「出会い」を通じた「教えの伝授」が決定的に重要だと述べています。ここにあるのは、宗教は単なる思想や理論ではなく、人と人との「邂逅」(かいこう)だ、という考えです。とすると、単なる思想や思想のパッチワーク(ないしは「つまみ食い」)は、宗教の「哲学化」「思想化」であったとしても、本当の生きた宗教ではない、ということになります。

もちろん、全ての人がこのような「邂逅」体験を持つとは限りませんし、その必要性を、差し当たっては、「ひりひり」と感じていない人も多いでしょう。ただ一方、全ての人は、そのような「邂逅」「出会い」が、ある時、突然、訪れる可能性を持っていると思います。その意味で、「宗教的出会い」を持っていない人、必要としていない人は、「無宗教者」というより、未だ宗教的出会いを持っていない人、即ち「未宗教者」なのです。もちろん、「未宗教者」のまま生を終える人も多いと思いますし、それはそれで一つの完結した人生だと、私は思います。

A1-2. 熊谷准教授からの回答

様々な宗教の教えやエッセンスをつまみ食いしていくという生き方はあっても良いと思います。但し、つまみ食いの仕方には注意を払う必要があるかと思います。自分に都合の良い形でつまみ食いをしていった場合、自らの欲望や気持ちを無批判に肯定し、増幅させていく方向に進んでしまう危険もあります。「どう生きたいか」と「どう生きるべきか」の両面から、どうつまみ食いしていくかを見極めながら、宗教の教えのつまみ食いをしていくという形はいかがでしょうか。

R5.2.21掲載

★参加者からいただいたコメントに対する両先生方からのコメント

(参加者からのコメント)

人間というものが信用ならなくなった時、人間について知ろうと人間と関わりを出来るだけ絶って文学や哲学の中に入っていく、well-goingというよりwell-backingつまり不幸に喜んで進んでいく人間もあると思うのです。その時にもそれでも魔性を含んだ人間を、それは自分をも含みますが、ある程度受け入れて外と関係をそれでも築いていかねば生きていけない自分が嫌になります。

(出口教授からのコメント)

文学や哲学も人間の営みであり、文学書や哲学書も、人間が書いたものです。その中で響いている言葉、声も、人間の言葉、声に他なりません。その意味で、「文学や哲学の中に入っていく」とは、「生身の人間との対面のやり取り」ではないかも知れませんが、やはり「人間の中に入っていく」営みの一つだと思います。well-backing の行き先は、やはり「人間」なのです。

人は誰でも、人間であれ何者であれ、他者からの支えがなければ生きて行けません。我々は、好むと好まざるとに関わらず、他人を信用できようとできまいと、単独ではいかなる行為も成し遂げることができないという「単独行為不可能性」を抱えています。さらに言えば、単独では生きていけないという「単独人生不可能性」をも抱えているのです。これは我々みんなが受け入れざるを得ない、「動かせない事実」です。

まずは、この「動かせない事実」を改めて直視し受け入れ直した上で、文学や哲学という人間の営みの中に入っていく、ないしは入っていかざるを得ないご自身を肯定された上で、思う存分、文学や哲学における人間との対話をお楽しみいただければと思います。

(熊谷准教授からのコメント)

今の私には良い解決策を提示できずすみません。信用できない人間との関係を構築しなくても生きていける社会や、信用できない人間との関係構築が嫌でなくなるような状態を、生み出せたり、サポートできたりするようなテクノロジーやアイデアを創出できないかどうか、考えて行きたいと思います。

もっと知りたい人へ

出口先生
【研究成果】

  • 出口康夫、大庭弘継編『軍事研究を哲学する――科学技術とデュアルユース』昭和堂、2022年
  • 澤田純×山極壽一×出口康夫「グローバルとローカルの〈あいだ〉――多様なローカリティに根ざした新しい社会のデザインを」澤田純『パラコンシステント・ワールド』NTT出版、2021年所収
  • 出口康夫「『できなさ』が基軸の社会へ価値観の転換を」朝日新聞社編『私たちはどう生きるか コロナ後の世界を語る2』朝日新書、2021年所収
  • 出口康夫「『われわれとしての自己』とウェルビーイング」渡邊淳司、ドミニク・チェン監修・編著、安藤英由樹、坂倉杏介、村田藍子編著『わたしたちのウェルビーイングをつくりあうために――その思想、実践、技術』ビー・エヌ・エヌ新社、2020年所収
  • デイヴィッド・ルイス『世界の複数性について』出口康夫監訳、佐金武、小山虎他訳、名古屋大学出版会、2016年

【活動】

熊谷先生
【研究成果】

  • 熊谷誠慈編著『ボン教――弱者を生き抜くチベットの知恵』創元社、2022年
  • 熊谷誠慈「ブータンにおける実践仏教――ブータンの仏教と国民総幸福(GNH)政策」船山徹編『現代社会の仏教』(シリーズ実践仏教Ⅴ)、臨川書店、2020年所収
  • 熊谷誠慈編著『ブータン――国民の幸せをめざす王国』創元社、2017年
  • 熊谷誠慈「『心』と『こころ』――文献学的手法に基づく『こころ学』の構築」吉川左紀子、河合俊雄編『こころ学への挑戦』(こころの未来選書)、創元社、2016年所収
  • 熊谷誠慈、三浦典之、粟野皓光、上田祥行「Psyche Navigation System構想」『人工知能』 Vol. 36, No. 6所収

【活動】

  • ムーンショット型研究開発制度(※)におけるムーンショット目標9「2050年までに、こころの安らぎや活力を増大することで、精神的に豊かで躍動的な社会を実現」プログラムディレクターhttps://www.jst.go.jp/moonshot/program/goal9/index.html

※ムーンショット型研究開発制度とは、日本発の破壊的イノベーションの創出を目指し、従来技術の延長にない、より大胆な発想に基づく挑戦的な研究開発(ムーンショット)を推進する国の大型研究プログラムです。