水運と災害影響から読み解く地域コミュニティ形成に関する研究

プロジェクト代表者:
落合 知帆(京都大学大学院地球環境学堂 准教授)

連携研究員・共同研究員:
・渡部 圭一(京都先端大学人文学部 准教授)
・三隅 貴史(関西学院大学社会学部 特別任用助教)

プロジェクト紹介

熊野川は奈良県十津川村を源流とし、和歌山県田辺市本宮町を経て新宮市の河口へと流れる一級河川である。当地域は多雨地域として知られ、明治22年、昭和28年そして平成23年にも大規模な水害を経験してきた。かつて、熊野川沿いの集落は「川丈集落」と呼ばれ、水運によって繋がり交流を持ってきたが、道路交通に取って代わられてからは、これらの集落の関係性は薄れ、また「川の道」に対する認識や知識も過去のものになろうとしている。しかし、当地でかつて川の道の利用者であった筏師や団平船の船頭達、そして地域住民の一部は、熊野川の各所にある瀬や淀みなどに名前を付け、それらの特性を把握していた。また、立地によって異なる場所や集落の役割や、水害時における各地の状況を把握していた。このような知識を有する地域住民は高齢化しており、今この機会を失えば、彼らの川に関する知識や地域特性を知ることは出来なくなる。

このため、本研究では、地域の河川に関する情報や既往研究の収集および、住民に対する聞き取り調査を実施し、①熊野川およびその支川の各箇所の呼び名や特徴を把握し、②川を使った輸送(特に筏師)の活動や川の道の利用について把握した。また、③地域住民の大雨や水害時の対応および地域社会との関係性を社会学や民俗文化から読み解くことを目的とした。

その結果、本調査で主な調査対象地とした和歌山県田辺市本宮町の土河屋地区は、かつて筏の組み換えが行われていた地区であり、住民のほとんどが筏組合に所属しこれを主な生業としていた。木材は十津川村のいくつかの組(元村)から搬出され、それらの木材を一本または小規模な筏にして流してきたものを、県境に位置し河川が蛇行し集落の対岸に淀みが出来る土河屋地区にて組み直し、さらに横幅を広く、また長く繋げた筏にして下流の新宮まで流していた。この土河屋地区から下流は河川の幅が広くなることから、十津川村や北山村で見られるような急流の筏流しと土河屋をはじめとする本宮町の緩やかな筏流しではその方法も技術も異なっていたことが分かった。また、河川の各所には瀬や淵があり、これらが筏の組み直しの拠点になっていたり、水害時には流木が溜まる場所になっていた。

図1 河川のイメージ図

当地の現在70歳以上の住民の多くは、かつて熊野川およびその支流で子供の頃は遊び、釣りをし、土河屋地地区をはじめとする筏稼業が盛んだった地区では中学校を卒業する頃には筏に乗る生活があった。このため、遊びや仕事の範囲内にある河川の各箇所の呼び名やその特徴、またはそれに関する歴史を知っていた(図1参照)。一方で、現在40-50代の住民はこれらの知識がほとんど伝えられておらず地域社会の関係も希薄となっていることが明らかとなった。 今後はこれらの知識の詳細を把握し、次世代に伝える方策について検討を進める。