モダニズム萌芽期の都市デザイン論における身体性と愛郷心の観念

プロジェクト代表者:
早川 小百合(京都大学大学院工学研究科 助教)

連携研究員・共同研究員:
・田路 貴浩(京都大学大学院工学研究科 教授)

プロジェクト紹介

研究紹介

ル・コルビュジエ(1887-1965)は近代建築の巨匠として広く知られる。ル・コルビュジエによる近代的都市計画は、直線や直角といった幾何学的形態によるデザインで一世を風靡したが、それらはやがて非人間的な空間として批判の的となった。

しかしル・コルビュジエと名乗り始める前、本名であるジャンヌレとして活動していた時代には、曲線などの有機的形態や故郷の自然の中で生まれた郷土様式(写真1)に傾倒し、故郷スイス、ラ・ショー=ド=フォンのグリッド状の都市計画(写真2)を強く批判していた。こうした態度は、後のル・コルビュジエの近代的デザイン思想と大きく異なる。

ジャンヌレ時代に執筆した未定稿 “La Construction des Villes”(以下「都市の構築」)は都市に関する最初の研究であり、初期ル・コルビュジエの都市デザイン論が表れている重要な草稿である。しかしながら、未完の草稿であるため論理構成は十分に体系立てられておらず、一部の図版は欠落し、意図が不明瞭な記述も多い。「都市の構築」については近年、世界的に研究が盛んになっているものの、その草稿内容自体については十分に研究されてこなかった。

そこで、プロジェクト代表者はこれまでに、草稿内の事例の形態分類とその評価軸導出によって草稿の都市形態論を体系化してきた。さらにその都市形態論の背景には、究極目標として「愛郷心(patriotisme)」の創出が意図されていたことを指摘してきた。ただし草稿では、物理的な都市形態から「愛郷心」という特殊な感情が創出されるメカニズムについては説明されておらず、論理がやや飛躍している。

本研究課題はこの「愛郷心」ともう一つの鍵概念「身体性(corporalité)」の関係を探り、「愛郷心」の観念の位置づけのさらなる相対化を目指すものである。

都市での生活を持続するためには、そこで実生活を営む都市住民の「愛郷心」が不可欠である。ジャンヌレが論じた「愛郷心」を再考することで、地方都市への分散が叫ばれる今日において、実際の都市に対する愛着の創出に資する観念として位置づけられることが期待できる。それはより実際的で持続的な地方分散・地方創生につながるだろう。

また、草稿執筆当時は、急速に進む工業化の反動として自然回帰が目指されており、ジャンヌレが「愛郷心」を構想した背景には郷土保護運動をはじめとするドイツの社会運動があった。当時の自然観と「愛郷心」を喚起する都市デザインとの関係からは、自然との共存を目指す現代のわたしたちが参照すべき知見獲得も期待できる。

(写真1)ジャンヌレが設計したファレ邸(筆者撮影)
(写真2)ラ・ショー=ド=フォンの直線街路(筆者撮影)

成果報告

「都市の構築」の草稿においては物理的な都市形態と「愛郷心」という特殊な感情の創出を結びつける際の論理の飛躍が見られる。そこで本研究課題で、この一見不可解な草稿全体の論理展開を再構成した。具体的には、草稿を構成するパルティ論と都市全体のデザイン論のそれぞれを対象に、論理構成を整理した。その後それらを統合し、「愛郷心」創出を究極目標とする草稿全体の論理構成を再構築した。その結果、下記の成果が得られた。

  • パルティ論では、身体的観点から見た主体の形態認識と、その認識結果としての「親密でより個人的な感情」や「快い精神状態」の喚起が論じられていた。一方、都市全体のデザイン論では、都市全体の彫塑的把握、そしてその彫塑的な視覚的明瞭性と「愛郷心」とが結び付けられていた。つまり、パルティ論と都市全体のデザイン論では共通して、①客観的・物理的な形態、②その形態を主体がどのように認識するか、③そして形態を認識した結果主体に生じる作用について論じられていた。このようにして、草稿の論理構成は①形態、②受容様相、③心理作用の3つに分けて理解できることを示した(図1)。
  • とくに②受容様相の段階では、視覚への着目が見られること、多数の都市計画家の理論を援用していること、そして一般に身体に対して用いられる「休息(repos)」という術語を身体運動的観点と視覚的閉鎖性に関する観点で横断的に用いていたことを指摘した。また、同じく②受容様相の段階において、形態から「愛郷心」創出を論じる際に鍵となる「都市のシルエット」(図1)の観念が構想されていることを指摘した。

さらに、ジャンヌレが援用した「都市のシルエット」の観念の参照元である、ジョルジュ・ド・モントナックの著作“Pour le visage aimé de la Patrie!”をBibliothèque de la Ville du Locleにおいて入手し、ジャンヌレの記述との比較を行った。その結果、下記の成果が得られた。

  • ド・モントナックはスイス民族の象徴としてアルプスの風景を論じていた。それに対してジャンヌレは、「都市のシルエット」という術語を用いながら、「愛郷心」の生まれる根拠として一般に連想されるようなその場所の歴史性や民族性ではなく、視覚的明瞭性を構想していた。このように、ジャンヌレが都市形態と「愛郷心」を結び付ける論理の飛躍の一因として、特定の場所性を排除した地形と建物の量塊について彫塑的な視覚的明瞭性を論じていたこと、そしてその際に具体的な形態に関して十分に補完して論じていないことがあったと考えられることを指摘した。
図1 草稿の論理構成(筆者作成)