福田 耕佑『ニコス・カザンザキス研究』
2025.08.11
著者:福田 耕佑(京都大学文学部 非常勤講師)
出版社:松籟社
発行年月日:2024年9月15日

書籍紹介
近現代ギリシア文学を代表する作家であり思想家であるニコス・カザンザキス(1883-1957)が作品を通して提示したギリシア像が、西洋の精神文化の源泉として理想化されたギリシア像とは必ずしも合致しない、ロシアや中東、そしてアフリカや極東という非西洋世界での旅と執筆活動に基づいた、多様な文化体験に根差し非西洋的な要素さえをも内に含むものであったことを明らかにする。
本書第一部では以下の点を説明する。古代ギリシアは、とりわけ西洋近代において自分たちの文化的源泉として位置づけられてきたが故に、純粋にヨーロッパ・西方的であってアジア・東方的な要素は含まないものとして位置づけられる傾向にあった。しかし、ギリシアが地理的にも歴史的にもアジア・東方とヨーロッパ・西方の中間に位置しているが故に、ビザンツ時代やオスマン時代という歴史を経た近現代ギリシアは、西欧の知識人たちによりしばしば東方・オリエント的であるとみなされ、西洋の理想となる古代ギリシアに適さない東方人であり、古代ギリシアの末裔とするにふさわしくない民族、或いは自分たち西欧人よりも劣った存在だとみなされる場合があった。このため19世紀中葉以降の近現代ギリシアにおいて、自分たちが古典ギリシアの子孫であって先進的西洋世界の一員だと主張するために、西欧化・近代化を推進して自分たちがアジア・東方に属するものではないと主張する、「脱亜入欧」的な議論や親西方・嫌東方的なナショナリズム的思想が展開され、またその反動として過度な西洋化を非難しギリシア中心主義的な思想も同時に展開された。
続く第二部では、西洋や近現代ギリシアの思想家の大半が自分たちの理想とするギリシア像の中から東方的な要素を忌避していたにもかかわらず、ニコス・カザンザキスはギリシアの有する東方的要素を肯定的な形で評価し、古代のみに限定されることのない非西洋世界を含む多様な文化圏に関する考察と思索を含んだギリシア・ギリシア人観を描いたことを明らかにする。そして彼は過度な西洋化或いは西欧文化崇拝やギリシア中心主義的なナショナリズムをも乗り越えて、『禁欲』という自身の世界と人間、そして神に関する思想を産み出しつつ、この世界観に沿う形で古典ギリシア崇拝や近現代ギリシアと古代ギリシアとの紐帯の妄信に陥ることなく、ギリシアを時間的に古代から現代まで、そして空間的に東西に広がりを持ったものとして、二つの連続性を有する存在として描いたことを示したい。このため本書は、ギリシア内戦期までのカザンザキスの事績と作品の中で、とりわけ彼がギリシアについて、そしてポントス(現在のトルコ黒海沿岸地方)からロシアと中国を経て日本に至るまで東方諸国について体験したこととそれらに関した作品を主要な資料として分析した。
結論として本書は、カザンザキスによるギリシアの探求が第二次世界大戦期までに描かれた、「ギリシアの歴史的連続性(時間的側面)」と「ギリシアの地理的東西性(空間的側面)」を内容とする「ギリシア性」の探求に結実したことを論じ、これまでギリシア国内外の先行研究で十分に取り扱われることのなかったカザンザキスのギリシア・ギリシア人観を明らかにした。特に本書が指摘するカザンザキスのギリシア・ギリシア人観の特徴は、カザンザキスが反西欧崇拝と極東やロシアでの体験と執筆を通して「東方」を探求することで、従来近現代ギリシアで禁忌とされていたギリシアにアジア的要素を肯定的に認めるという独創的なギリシア観を描いたというところに存する。
このカザンザキスの描いたギリシア像は、西洋で形成された古代ギリシア像を輸入する形で19世紀から形成されてきたアジア差別を内に含むギリシア・ナショナリズムに対し、
自民族中心主義を乗り越えつつ隣接する中東・アジアの国々との歴史的軋轢を乗り越える視点を有していた。さらに、マーティン・バナールは20世紀末にその著書『ブラック・アテネ』で明らかにした近代ヨーロッパにおけるヨーロッパ中心主義による「古代ギリシアの捏造」と西欧以外の視点を排除された古代ギリシア像に対して批判を加えたが、本書が提示したのは、ニコス・カザンザキスが既に半世紀ほど前に自身の思想と文学的想像力を通して日本からポントスに至るまでのアジア体験を通してこの点を克服する視点を提供していたということであった。加えて、カザンザキスがイエス・キリストの妻帯やその復活の否定というキリスト教の根幹に対して疑義を呈したことに対しては Scandalizing Jesus ?という書名の研究書が刊行されているが、本書はカザンザキスが西洋文明の根幹の一つであるキリスト教に対してScandalizing Jesusとして疑義を呈していたことに加えて、もう一つの根幹でもある古代ギリシア・西洋古典文化に対してScandalizing Greeceという形で疑義を呈していたことを明らかにした。