川田翔子 八幡市長
2025.03.07
2025.1.20
人と社会の未来研究院は、京大や他機関においても多くの社会連携インタビューをしています。今回の「この方に聴きました」では、八幡市役所を訪問。京都大学ご出身で京都市役所の職員としても活躍された川田翔子市長に、大学時代の思い出や八幡市長立候補までの経験、また現在の八幡市政に関するビジョンと活動についてお話を伺いました。
(取材:熊谷誠慈、圓城新子/ライティング・撮影:圓城新子/構成編集:広井良典、熊谷誠慈)
圓城
川田市長は、京都大学経済学部を卒業され、京都市役所に入庁されました。京都にご縁もおありになり、大変嬉しく思います。大学時代の思い出や役所でのお仕事をお聞かせください。
川田市長
京都大学時代は左京区のマンションに下宿し、自転車で京都大学に通っていました。下鴨神社の糺の森がごく近く、騎射流鏑馬神事では、馬が走り矢を射る音で目が覚める日もありました。1月は下鴨神社の蹴鞠で始まり、2月には吉田神社の節分祭、5月には葵祭、7月はお精霊さんをお迎えに行き、大文字でそれを見送る。そうして秋へと向かいます。一年間を祭りで巡ることは、京都らしさですね。地域コミュニティと精神文化が、はるか昔から受け継がれている。それが自然に街に息づいていて、あたりまえに、皆の生活に馴染んでいることをそばで見られたことが印象深く、京都がとても好きになりました。
京都市役所では、3部署を7年務めさせていただきました。入庁して、いちばん最初に配属されたのが、伏見区深草のいわゆる生活保護ケースワーカーの部署です。福祉、生活保護のケースワーカーを2年間担当し、短い期間でしたが、本当に行政の助けを必要としている方々に、最前線で関われたのは、自分の中でも非常に貴重な経験でした。 生活保護は受けられていても、一般的には隠していらっしゃる方も多いです。世の中にサクセスストーリーはいくらでもありますが、そうではない人も多いです。必ずしも何か犯罪を犯したり、積極的に悪いことをしたり、サボったりしているわけではなく、その人なりに一生懸命やってきた結果であっても、お困りになることがあるということを、リアルに見られたことは大きいです。私のその後の考え方や人生観に影響を与えたと思っています。
そのあとは行財政局に異動し、いわゆる官民連携で公有地を活用するという資産活用推進室で小学校跡地を担当しました。少子化が急激に進んだことにより、統廃合で小学校がどんどん空いていく。しかも京都市内はかなりドーナツ化現象が進んでおり、子どもの減少が著しく、2校が1校になるどころか3校が1校になることもありました。私が担当した時点でも、市内だけで20校以上の廃校舎があり、それをどう活用していくかが課題でした。しかもそれは完全に空いているものばかりではなく、広い校舎の1室だけを、地域の方が利用されていて、それに莫大な維持費がかかることもある。一方で、学校は地域の方のアイデンティティそのものである場合もあり、思い入れもあるので、そう易々とはさわれない。さまざまな問題をはらんでいました。そんな中、東京オリンピックが決定し、インバウンド景気が期待されるというタイミングがやってきました。ホテル需要も伸びている時期だったので、京都の街中で、3000〜4000平米の大きな土地がまとまって開発できるというのは、民間企業にはものすごく魅力的です。そんな企業の経済的価値と地域のコミュニティ機能を、行政が橋渡しをするという仕事に取り組みました。企業に土地建物の地代家賃を得ながら、行政は整備費をかけることなく、コミュニティ拠点を新しくし、観光資源としても活用する。木屋町の立誠小学校跡地などがその1例ですね。木屋町通は繁華街もあるので、皆で自警団を作っての夜の見回り、高瀬川掃除活動をするなど、コミュニティに対する思い入れが強い地域でした。そのような地域住民に対して、開発をしたい民間企業がどのように受け入れてもらうかが課題でしたが、約4年間、企業の方が毎週新幹線で通い、朝の川掃除にも参加し、地域の方のお店に通われ、ものすごく努力をされました。結果、地域の方々の意向を最大限汲んで旧校舎を一部リノベーション、新しい建物はその旧校舎と連続性のあるデザインにするなどし、現在の館が誕生しました。そんな案件を数件担当しました。官民連携や地域コミュニティの再生をまちづくりにどう反映していくかという点で、とてもいい仕事をさせていただけたと思っています。
圓城
橋渡しをされるにあたり、その場所が地域にとっていかに大事であるかを、企業側に理解してもらうことが重要ですね。
川田市長
はい、事前に地域の皆さんと企業、市とで何度も話し合う場を持ちました。そういうことを市としてスキーム化していたのが大きいですね。そのスキームに則って進めていきました。
圓城
川田市長が、現職を含む政治を志すことになられたのはいつ頃からですか。
川田市長
京都市へ入庁したのは京都が好きになったからですが、自分の将来を考えた時に、私はどちらかというと、お金を儲けるというより社会の役に立ちたいと思っており、社会課題を見つけて解決することを一生の仕事にしたいと考えていました。学生時代、ある先生が「政策は社会の処方箋である」という話をされたことがあり、それがすごく印象に残ったのを覚えています。世の中には、「なぜこんなことが、うまくいかないんだろう」とか、「人が困っているのに、どうして助けてあげられないのだろう」といったことがたくさんあります。それを解決するいろいろな手法がある中で、「政策」は世の中の制度、仕組みを良い形に変えて解決するものだと思います。たとえば困っている人を助けるという課題を解決できるように、政策を処方箋のように打っていく。もし副作用が思わぬふうに出てしまったら直す。医者みたいなんですね。そういうことを仕事にしたいと、おそらく高校生ぐらいから思っていたので、経済学部を選んだのも、そういう社会のダイナミズム、動きを見て考えたいと思ったからです。一口に政策を仕事にすると言いましてもさまざまで、まずは大好きな京都の地方公務員という立場で、政策を作ったり使ったりしたいと思いました。
京都市で基礎自治体の面白さ、基礎自治体が市民生活の最前線で対応する行政であるという重要性を知れました。たとえば経済産業省に入れば、その所管業務をずっとやることになる。でも、自治体は2, 3年ごとに異動しますから、私のように生活保護をやったと思ったら、土地活用、まちづくりを手掛けたりもする。他にも環境政策局や上下水道局、また公共交通、道路、産業立地、観光、それから福祉高齢者 障害とあらゆる分野の行政担当があり、どんな業務も来年携わる可能性がある。こういうことで、市民生活をいろいろな立場で見る癖がつき、自治体が担っている役割の大きさ、重要性を感じることができます。これは本当に良かったです。
圓城
その経験も後押しして、市長に立候補されたのですね。
川田市長
はい。基礎自治体が市民生活にいかにすごい役割を担っているか、その大切さを知ったことが原点になっています。京都市の仕事も充実していたのですが、複合的にいろいろな分野を扱い、多面的に社会を考える仕事はないのだろうか、と考え始めました。そんな時に、同じ年で京大の経済学部卒業の土田 慎(現在東京13区選出の衆議院議員)さんが、2021年に自民党最年少で国政に出馬されるという情報が大学の仲間経由で入ってきました。在学中は面識がなかったのですが、土田さんとはゼミの後輩など共通の知人が多く、その一人が政策に興味がある私を、土田さんに紹介してくれたのです。ちょうど土田さんの選挙前にお会いし、初めて本格的に東京の選挙を近くで見せていただきました。土田さんは、この世界は確定的なキャリアステップはないから、必ずしもおすすめはできないけれど、自身が秘書として勉強させてもらった参議院議員の山東明子先生のもとで働いてはどうか、とアドバイスをくださいました。
国の中枢で何が起こっていて、どのように意思決定が行われ、その背景にはどんなメカニズムが働いているのか。国政にはずっと興味がありましたが、現場に行かないとわからないと思っていました。だから、こんな機会はもうないかもしれないと思い、思い切って京都市役所を退職し、永田町の山東明子先生の事務所で私設秘書として修行させていただくことにしました。
熊谷先生
八幡市長に就任されるまで、参議院議員の秘書をされていたお話はとても興味深いです。ご友人のご縁があったのですね。
川田市長
そうですね。やはり大学のご縁やつながりは大きいですね 彼は今、財務省の政務官で、その前はデジタル庁の政務官と、ずっと要職についています。若い政治家では彼が一番活躍していますね。
熊谷先生
高校生の頃から、政策とか、社会を変えることにご興味があり経済学部に行かれたのですね。 たとえば、法学部でも政治を学べますが、経済学から政策という流れには、なにかお考えがありましたか。
川田市長
高校生の私には、法学というのはコンサバティブなものの積み重ねによって成り立ち、その枠組みとか尺度を厳密に考えていく、そんな静的な学問に思えました。一方で、経済というのは動的な学問という印象がありました。たとえば、今アメリカでトランプ氏が選出され、それによって株価がどのように変動するかなど、経済学的な見方をすることは、動的でダイナミズムのある学問に思えます。私の性分として、動きを追ったり、その背景を考えるという傾向があったので、経済学部に入りました。
でも役所に入って優秀な先輩を見ていると、法学も大事だと思いました。たとえば「こんなことをしたいけれど、どうしたらいいんだろう」というぼんやりとした疑問に対しても、すごく的確に早く、今ある法規制などを見つけ出される方がいます。法学の知識のある方は、初見から解釈、運用方法までの理解が早く、線引きが明確で、進める限界を知ることができる。それがわからないでぼんやりしていると、なんとなく怖いから踏み出さない、ということが起こりがちです。法学の知識は、先を見通して一歩を踏み出す指針になることもあると、今は思います。
熊谷先生
非常に面白い視点ですね。市長が職員の方々と市政を動かしていくには、確かに動的なダイナミックに物事を捉えることも必要ですね。
圓城
市長は、医療の無償化、子育て支援などに力を入れておられています。今後、実現されたいことをお聞かせください。
川田市長
今、八幡市でやりたいと思っていることが大きく2つあります。まず一つが、まちづくりです。 八幡市は、石清水八幡宮をはじめとする国宝や歴史文化遺産、松花堂庭園、背割堤の1.4キロの桜のトンネルなど観光資源がたくさんあります。しかし、市内の経済消費につなげ切れていないというのが課題です。
せっかくこれだけいいものがあっても、八幡市内に訪れる観光客一人当たり平均消費額は290円。宿泊や飲食、土産物を買う場所があまりなく、単価を上げるところが少ないです。八幡市に興味を持って訪れた方が、いいところだったと思ってもらえるよう、街の魅力を伝えたいです。そうでないと、経済消費活動として、街へ還元がされません。そういった意味で、都市整備をし、動線を確立したまちづくりをしていかないといけない段階にきていると思います。これには、観光と経済が循環し、街と住民に活気と便利さを提供できるよう、ハード、ソフトの両面で取り組みたいです。10年20年というスパンで、腰を据えて考えていきたいです。実は今年度も、グランドビジョンという市民の皆さんと目指す未来の青写真を共有するため、予算計上しました。少子高齢化という今、やはり子どもを産み育てやすい街、安心して生活しやすい街でなければならない。就任後、まず取り組んだのが、子ども医療費の無償化、またこれは賛否がありますが、給食費も段階的な無償化ということで、1/4の自治体負担から始めています。子育てに対して、経済的、時間的、精神的に少しでも負担を軽くすることで、2人目3人目と子どもを産み育てる気持ちになる社会をつくっていかないことには、少子高齢化の解決はありえない。それはやはり自治体の最前線、市民に一番近い行政として、実現していく努力はするべきだと思っています。
熊谷先生
今日は駅からここまで歩いてきました。石清水八幡宮への道もあり、心地よく歩けましたが、昼ごはんを食べるところが見つからず、コンビニで290円ぐらいのものを買って済ませました。たしかにもったいないですね。現在、グランドビジョンを作られているということですが、たとえば学術関係者などと連携することはお考えですか。
川田市長
現在、グランドビジョン作成では、都市計画審議会と観光まちづくり計画をたてており、コンサル企業に調査委託することもあります。しかし、コンサル企業に任せきりにせず、内部の有識者を入れた懇親会、また、都市計画の岡山先生、大阪工業大学の都市計画の先生、観光まちづくりの先生にもご列席をいただいた意見交換会をして、先生方のご指摘を反映させています。現段階では、グランドビジョンをまだ固めず、今後は多くの方に関わってもらいたいです。
圓城
京都市も美術系大学の学生と一緒に商店街がまちづくりをされ、私設図書館などを作られたりしています。今後、そのような大学との連携はお考えですか。
川田市長
まちづくりを進める上で、どうしても市職員の人手が足りず、民間のコンサルにお願いしがちです。コンサル企業に頼ってばかりいると経費も嵩みます。たとえば学生さんに、フィールドワークなどで八幡市を活用していただき、需要や交通動態の客観的な分析や考察から、コミュニティの活性化などについて一緒に課題解決方法を探してもらえたらと思います。
熊谷先生
コンサルの方々の迅速さは非常にありがたいです。一方で経費も嵩むし、地に足のついた研究、いわゆる需要分析や交通動態を、しっかり時間をかけてやってもらうには、確かに学生はいいですね。
川田市長
たとえば、八幡市の人口は、平成7年がピークで76,000人でした。その後は減少の一途をたどっており、現在は68,900人ぐらいになっています。10万人都市を目指せというキャッチフレーズで頑張っていたときに、その想定で大規模な公共施設も建設している。それの修繕が現在一斉に出てきている中で、必要なものを集約せねばならない。じゃあそれもコンサル企業に託しましょう、となると、3カ年で大金がかかります。他にも、コミュニティバスのルート再編など、コンサル企業に調査依頼することで片付けると、キリがありません。
熊谷先生
大学、研究機関のいい点は深く調査するところです。悪い点は、短期間でのアウトプットが苦手で、どうしても学術的な正確さにこだわる。一方で学生は卒業論文など短期でアウトプットしないといけない側面もある。重点的なテーマを絞って、市から既存のデータ提供などで協力すると、わりと短期間で調査も可能かもしれません。コンサル会社との使い分けが大事ですね。
川田市長
確かにどちらも必要ですね。先日も京都府立大学の方とお話して、行政に対してもご理解があるので、どのように連携をさせていただこうか相談しているところです。まちづくりとかコミュニティ、八幡市独自のものとしては、やはり石清水八幡宮ですね。文化的にも精神文化的にも非常に独特なレガシーだと思います。これを街にどのようにフィットさせていくかは、題材としておもしろいと思っています。
石清水八幡宮は神仏習合の代表格です。もともとは山肌に、男山四十八坊と称されていた48のお寺が張り付いていました。それが明治時代の廃仏毀釈により、お寺だけ剥がされている状態です。今は日本と皇室の守護神である八幡大御神が神様の神社になっていますが、昔は八幡大菩薩を祀り、仏教的な信仰もされていました。上に八幡宮もあるけれど、横に大きなお寺や八角堂などもたくさん混在していて、仏像もあった。現在、日本人の抱く神道は明治以降のもので、日本古来の神道は、日本人の生活の中から生まれた民族宗教。自然崇拝を基調とする多神教で、神も仏も習合されていた。石清水八幡宮は、皇室のご崇敬をもいただいているので、非常に存在感の強い神社ですが、かつての日本人が行っていた神仏習合の精神文化もある。そんなことを、もっと広く知っていただける街にしていきたいと思います。
圓城
神仏習合は、現在提唱されている多様性と親和性もありますね。
川田市長
今は西洋から多様性が逆輸入したみたいですが、日本人は古来より多様性を尊重していたと思います。
他にも、石清水八幡宮の護国寺は十二神将が全部入っているお寺で、その十二神将は廃仏毀釈の時に淡路島に全部逃げて、現存しています。そういうかつての姿を徹底的に解明したいですね。
熊谷先生
それは面白いですね。物理的にそれを戻すのは難しいですけど、たとえば空間デジタル化して融合すればかつての姿を再現できますね。
川田市長
実は、石清水八幡宮の男山山腹からせり出すように作られた空中茶室「閑雲軒」の再現モデルは、日立京大ラボの加藤猛先生や、人と社会の未来研究院の広井良典先生にお願いして、大変お世話になっています。これだけ文化的なものがあるのに、八幡の人たち自身も知らないことが多く、シビックプライドを高めて観光客を呼びたいと思います。
熊谷先生
住んでいる人にとってはそれが当たり前で、価値がわかりにくいのかもしれませんね。
川田市長
ホテル建設の話をしても、地元の人は「八幡なんてだれも泊まらないよ」と思ってしまわれるのですけれど、全くそんなことはないと思っています。
熊谷先生
私は東京と京都、広島を往き来していますが、全部中心部なので疲れるんです。八幡市は自然が多いから、デトックス的な意味でも心地いい。これはウェルビーイングですね。そういうところに宿泊施設があれば、訪れたい人はいるでしょう。あとは交通の便ですね。動線を確保すれば、かなり人気が出る可能性も大いにあると思います。
川田市長
八幡市は都市部に近い一方で、とても自然が多く気軽に楽しめる場所です。たとえば、駅前から山頂に向けて走っているケーブルカーは、途中、深い渓谷を見ながら鉄橋を渡ります。それが絶景なんです。駅から徒歩数分後に山深い渓谷があるのも魅力ですね。
熊谷先生
「駅から5分で渓谷」。キャッチコピーになりそうですね。
川田市長
東京の世田谷も、都市部だけれどちょっと行くと自然に親しめるというので有名になりましたね。先ほど桜のトンネルで話しました背割堤も、桂川、宇治川、木津川という大きな3つの川が合流して淀川につながる地点なんです。とても雄大で地形が珍しく、特徴的なランドスケープになっています。最近は背割堤から宇治川を登り、伏見の中書島まで船で行くプロジェクトが立ち上がっています。一度、屋形船の臨時便に乗らせていただいたんですが、やはり屋根のある船は情緒があります。水辺の風はベタつかず爽やかで、昼下がりの縁側みたいな心地よさでした。観光客だけじゃなく、近隣の方が「今日は天気がいいから、どこかに出かけたい」と思った時に、気軽に自然を1、2時間楽しむ。そんな需要もあるように思いました。
熊谷先生
さきほどの渓谷や船の動画を上げてみるのもいいですね。最近は京都も東京も宿泊費がかなり高騰しているので、自然があって価格が高すぎず、美味しいものがある八幡市の観光資源をうまく知らせると、そちらに行きたい人も増えそうです。
川田市長
外からの目線で、八幡市の観光需要を教えていただくのも大切ですね。住んでいると当たり前になっていて気づかないので。
圓城
最後一つお聞きします。川田市長や芦屋市の髙橋市長、また先ほどの土田さんもですが、最近、若い世代の方が市長や議員になられることがあります。ご自身も含め、若い世代の活躍の意義のようなものを教えてください。
川田市長
選挙の時から、有権者の皆様には、若いことは何かを変えるパワーがある、というふうに感じていただいているようで、期待感をひしひしと感じていました。大変なことも多いですが、嫌な大変さではないです。より良い方向に何かを変えていくためには、ものすごい精神力と体力を持って、市民をはじめ多くの人の意見を聞き続ける、めげずに話し続けることをせねばならない。それには、たしかに精神的にも身体的にもパワーが必要ですね。これまでの見識や知識経験で安定的に引き出しを使って動くことが、ベテランの皆様の特徴だとすれば、がむしゃらに頑張れることが、若者の利点かもしれません。どちらも必要ですが、何かを変えたいとか、大きくまちを良くしたいときには、パワーが出せる人間がその場所にいることは、ものすごく大事だと思っています。そういう大きな期待にずっと応えられるように意識しています。
熊谷先生
期待の大きさは、さきほど受付でも感じました。ちょうど横のテーブルにいらした年配の方が、京都市役所のOBの方のようで、「市長さんにすごく期待している」と受付けの方にことづけておられました。
皆さんが気軽に訪問できる明るい庁舎ですね。全フロアに開放感があり、非常に綺麗です。それも市長が意識されているのですか。
川田市長
この庁舎に変わったと同時に市長になりました。市民プラザのフリースペースでは、いわゆる役所らしくない、スタイリッシュなテーブルや椅子、ソファがあり、床はゆっくりくつろいでいただけるよう人工芝になっています。なので、まるでカフェのような感覚で、市民の方に自由にご利用いただいてます。これまでは市役所といえば、書類を取りに行ったり、手続きをしに行くところというイメージでしたが、これからは、マイナンバーカードなど、デジタルによる事務作業の効率化も進み、そういう役割が軽くなっていくと思います。そのぶん、コミュニティ機能を充実させ、時間あるから役所行こう、と市民が思えるような存在になりたいと思います。
熊谷先生
時代を捉えた、斬新なお考えですね。あちこちに居場所がないような子どもたちも来れそうですね。
川田市長
居心地がいいと、子供たちが学校終わりに役所に来られますよね。ちょっとやんちゃな中学生たちも、学校帰りにたまる場所になっています(笑)。ソファーで友達とゆっくりおしゃべりもできるし、無料ですしね。夏休みには子どもたちがいっぱい集まって、みんなで宿題したり、遊んだりしています。小さい子がスケボーでガラガラ走るのは、さすがに危ないよと言ってますが(笑)。綺麗で居心地がいいところは、みんな目ざとく見つけてくれるんですね。次は広場も整備していくので、より一層、だれもが集いやすいところになっていくと思います。
熊谷先生
今後のさらなるご活躍に注目しています。
川田市長
ありがとうございます。