イベント

2023年度こころの科学集中レクチャー「心理と文化から健康を科学する」を開催しました

人と社会の未来研究院では、2024年2月29日から3月2日にかけて、「心理と文化から健康を科学する」と題して、2023年度のこころの科学集中レクチャーを開催しましました。*共催:人間・環境学研究科 学術越境センター

こころの科学集中レクチャーは国内外で活躍する一流のこころの科学の研究者が3日間にわたって集中的にレクチャーと受講生も交えたディスカッションを行うユニークなイベントです。

2023年度は、ミシガン大学の北山忍先生、玉川大学の坂上雅道先生、一橋大学の宮本百合先生を講師陣にお迎えして、長寿社会を迎える中での心身の健康の問題について認知・感情・脳・社会・文化といった多角的視点からレクチャーとディスカションを行いました。まず認知科学の観点から判断や意思決定にかかわる社会的文化的予測の原理を押さえ、ついで、文化と脳が健康にどう関わるかを考え、社会と健康についての最先端の知見を検討しました。

【受講生より報告】

1日目:坂上先生(報告者:野中俊希)

坂上雅道教授

 1日目は、思考の脳メカニズムを専門に研究をされている坂上先生よりお話をいただきました。
人間の意思決定プロセスを講義の主題とされ、人間が意思決定を行う過程のうち、多くの研究がなされてきた認知・動機づけ・感情処理の先に、最後のピースとして「価値生成」の過程があるのではないか、との問いかけを提示され、講義は「価値生成」に関わる脳機能を幅広くレクチャーしていただきました。

 坂上先生の講義のメインパートとして、「価値とは、それを手に入れることによって得られると予測される報酬」であるとの定義のもと、報酬予測に関わる脳の原理として、ドーパミン細胞の報酬予測誤差応答の原理(ドーパミンは、実際に得た報酬が予測していたよりも大きかった場合に分泌され、快として知覚される、という原理)に関する研究をご紹介いただき、報酬予測誤差の発生とドーパミン分泌(=快)の知覚の繰り返しによる対象となる行為の「価値」の学習の過程が「価値生成」のメカニズムであると解説いただきました。
 文化心理学を専門とされている北山先生・宮本先生を中心に、価値の学習とは文化傾向の獲得のプロセスについても適用される可能性が考察され、ドーパミンの働きの如何や、脳機構の発達の差異によって文化や社会規範への適合も左右されるのではないか、といった質問もあがり、坂上先生からもより詳細なご説明をいただけるなど、インタラクティブな質疑応答が展開されました。
 また、意思決定における「モデルフリー」(事象と報酬の経験的関係を客観的・確率的に結び付けて自動的に価値を計算する)システムと「モデルベース」(直接的な経験によりボトムアップに形成された連合学習の結果をカテゴリーや論理によって結び付け、直接経験していない価値の予測を可能にするシステム)とドーパミン細胞の機能の連関に関する専門的な講義をいただいたほか、「社会的意思決定」へと視点を拡張し、proselfな(自身の利得のみを気にする)意思決定を行う場合と、prosocialな(他者の利得も気にする)意思決定を行う場合では、機能する脳部位や、意思決定の過程が大きく異なっている、との研究をご紹介いただきました。
 人間の意思決定の差異は、文化差や当人が置かれた状況に依存するのみならず、より根本的には人間の脳機能の差にまで辿ることができる、という人間心理の奥深さに触れることのできる一日となりました。

2日目・北山先生(報告者:中村沙椰)

北山忍教授

 2日目は北山先生の講義でした。午前中は、「DNAを超えて:脳に現われた文化のストーリー」、午後は、「アフリカから学ぶ―理論的統合を目指して―」というテーマで、文化のダイナミクスを感じるようなお話をしていただきました。

 文化の進化について、遺伝子の進化からDRD4(Dopamine D4 receptor gen)に着目し、どのように文化が獲得されていったのか、強化学習の観点から学びました。初日に坂上先生が話されたモデルベース学習、モデルフリー学習をキーワードとして、文化とは何か、文化の違いはどう生じるのかについてご紹介頂いた研究結果をもとに議論が交わされました。文化とはある日突然生じたものでなく、進化という来歴のもと人々の古代からの営みやその中での適応から、連綿と紡ぎ出されたものであるということがわかりました。
 その最初の紡ぎ手は誰であったか、どこにいたかと言えば、アフリカであり、人類はアフリカで進化し、生き残ったごく一部がユーラシア大陸に渡りホモサピエンスが生息地域を広げていったとされています。北山先生によれば、サブサハラアフリカの多様な文化の2つの特徴として、相互協調性と内集団の中での競争が挙げられます。例えば、世界価値観調査などの結果によると、アフリカでは相互協調性が高いですが、その一方で、経済ゲームの結果から自己利益を追及する行動が多く見られています。一見すると相反するような特徴について議論が交わされました。たとえば、部族や家族に貢献する相互協調性を重視しながらも、限られた資源を得るため外集団あるいは内部にいる敵と競争する、その二律背反性が備わっており、それらはコインの裏表ではなく、二つの見え方のある錯視の図のように捉えることが重要だということが印象に残りました。

感想:
 今回が初めての参加でしたが、白熱する議論に圧倒されると同時に、ワクワクしている自分がいました。特に、なぜサブサハラアフリカの文化は相互協調性と内集団での競争という相反する特徴を持つのかという問いでは、参加者や先生方が一緒になって活発な議論が交わされました。その議論では、皆さんがこの相反する特徴は両立できることを受け入れていらっしゃるように感じました。そのこと自体、曖昧さや矛盾を受け入れようとする弁証法的姿勢で、そこにも文化を感じました。文化の何たるかについて、身をもって学んだ1日でした。
 

3日目・宮本先生(報告者:瀬川裕美)

宮本百合教授

3日目の宮本先生の講義では、文化心理学の社会への帰結でもあり、本集中レクチャーのテーマでもある「健康」にも意識を向けながら、午前中に「文化と感情と健康の相互依存関係」、午後に「社会階層と文化心理」というテーマでお話しいただきました。

「禍福は糾える縄の如し」という言葉に代表されるように、日本では良いことも悪いこともあって当然であり、ネガティブな感情もポジティブな感情も同時に感じられるものとして、あるいは必然的なものとして、許容する傾向があります。一方で北米文化においては、ネガティブな感情は克服するべきものであり、Happyや快を追求することは善であるという信念が観察されます。ネガティブな感情についての警戒もまた北米に特徴的であり、内的な感情に注視し感情制御をすることもはぐくまれているのではないかと議論が交わされました。
北米においては、高い社会階層の人々ほど高い目的志向性と自己志向性、分析的思考を持ち合わせていますが、日本では高い社会階層の人は高い目的志向性と共に高い他者志向性を持ち合わせているという結果を紹介いただきました。日本では「地位が人を作る」という言葉があるように、管理職になるということは職場の構成員を守ることが役割として求められ、またそのような志向性を持つ者が管理職に昇進しやすいという「社会に組み込まれた他者志向性があるのではないか」と議論が交わされました。また、北米においては社会階層が高い人ほど健康指標が良いという相関関係がみられる反面、日本においては社会階層と健康の相関関係は弱いことが紹介され、日本の管理職の長時間労働や不況時の自殺率の上昇などの社会課題にも議論は及びました。「西洋はボトムアップにシステムを作り上げてきたが、日本は全く異なる文化の中で、西洋のルールを守るというコンフリクトがあるのではないか」という点にも言及されました。

感想:モデルフリーとモデルベースという枠組みの中で、情動や感情はどこに位置づけられるのか?別の枠組みだとするとそれらの相互作用はどのように考えられるのか?という問いが残っていたところ、宮本先生が提示された「感情制御」をテーマに、坂上先生や北山先生のそれぞれの視点から議論が繰り広げられ、より思考を深めることが出来ました。
個人的には社会が心理に及ぼす影響と身体が心理に及ぼす影響の双方向の関連について、さらに深く検討していきたいと感じました。自己の中で完結するものではなく、社会との相互作用の中で人は生き、それらは常に戦略的な思考だけではなく、身体に埋め込まれていくという点で、今後の文化心理学研究の発展に興味を持ちました。

脳神経科学のモデルをベースに世界の様々なフィールドにおける文化心理学を多角的に検討した三日間の講義や議論は、受講者の視野を広げ各個人のフィールドに照らし合わせて思考を深める良い機会となりました。

議論の様子
講師と参加者の記念撮影