お知らせ

2022年度こころの科学集中レクチャー「こころの謎 ~脳・社会・歴史の接点を科学する~」を開催しました

人と社会の未来研究院では、2023年3月1日から3月3日にかけて、「こころの謎 ~脳・社会・歴史の接点を科学する~」と題して、2022年度のこころの科学集中レクチャーを開催しました。

こころの科学集中レクチャーは国内外で活躍する一流のこころの科学の研究者が3日間にわたって集中的にレクチャーと受講生も交えたディスカッションを行う他にあまり例のないイベントです。コロナ禍で中止していましたが、今年度より復活いたしました。

2022年度は、ミシガン大学の北山忍先生、カリフォルニア工科大学の下條信輔先生、北海道大学の結城正樹先生を講師陣にお迎えして、脳から、社会生態、歴史性・進化と深さと時空間的な広がりを持ったレクチャーとディスカッションが展開されました。

2023年度も2024年の2月29日から3月2日に、ミシガン大学の北山忍先生、玉川大学の坂上雅道先生、一橋大学の宮本百合先生を講師陣にお迎えして開催予定です。詳しくは下記リンクをご覧ください。

2023年度こころの科学集中レクチャー「心理と文化から健康を科学する」

受講生より詳細報告

下條先生

まとめ:

1日目の下條先生の集中講義では、午前中に主に「潜在脳機能」に関する講義がなされ、午後は主に「社会脳」に関する講義がなされました。また、それらの基礎研究の講義・議論と並行して、「逆応用科学」「来歴論」「戦争の身体性と象徴性」に関する熱のこもった議論が終日に渡り展開されました。

多くの人は素朴理論として、自分には意識があり、その意識が自分の行動を統制していると考えていますが、この直観的理解に反する潜在脳機能/潜在認知過程の研究結果が共有されました。Google mapで牧場に居る牛の向きを分析すると、北を向いている傾向が有意に見られるという話や、そうした潜在的なの磁気検知能力は人間にも見られ、磁気ケージを作って実験すると、磁気の変化を感知する人が居るという先駆的な実験の結果が共有されました。

また、視線のカスケード現象に関する一連の研究には多くの質問が寄せられました。選好の意思決定をする前に、視線の偏りの行動が必ず見られるということは、脳の顕在的な意思決定の前に潜在的でマイクロな意思決定が先行していることを示しています。これらの例の提示とともに、脳は単一に統合された器官ではなく、脳の各部位がより分散的で緩やかに繋がった器官であるという脳コンセプトが示されました。このコンセプトは、「分散的であるがゆえに、人の脳は他人の脳とも結合し得る」という午後の社会脳の議論へと繋がりました。

社会脳に関しては、チームフローに関する最新の実験結果が共有されました。(ソロ)フローに関してはポジティブ心理学の中で研究が蓄積されていますが、そうした個人のフローとは異なる現象として、複数人がチームとしてフロー状態となるチームフローという概念が提示されています。この現象の脳機能基盤が、(ソロ)フローのそれとは異なることが実験によって示されたことが報告されました。

また、これら「潜在脳機能」と「社会脳」と並行してなされた、「逆応用科学」「来歴論」「戦争の身体性と象徴性」においては、科学研究は今後どうあるべきかという批判的かつ建設的な議論がなされました。下條先生はご著書において、原発事故をケースとして、実社会の課題を基礎研究の考え方と手法を使って研究するという逆応用科学の考え方を提示し、それを応用科学とは異なるものとして定義しています。現在の実社会の課題としてウクライナ戦争があり、これも逆応用科学のテーマになり得ます。今回の集中セミナーにおいては、「戦争の身体性と象徴性」というキーワードで議論がなされました。「来歴論」に関しては、これまでの実験社会心理学において、誤差として無視されてきた個人差は、脳研究の観点から見ると「個人の来歴」から形成される脳の変化であるという見方が提示されました。エキスパート研究などを通じて、積極的に来歴を扱う姿勢の意味が議論されました。

感想:

個人的には「来歴論」と「脳は柔軟に変化する」という観点が最も興味深い点でした。問題で溢れかえっている実社会において、目の前の個人や集団の問題になんとかして対処しようとすると、その人・その集団の来歴を細かく考える必要が出てきます。これまでの社会心理学も来歴を無視してきたわけではないと思いますが、大きな一般理論に加えて、詳細な来歴情報に基づいた研究が出来ると、科学と実社会の接合がより太くなるのではないかとも思いました。脳データやその他の個人のデータ(生体情報や行動データ)がビックデータとして収集・分析出来るようになっているこれからの研究環境において、社会心理学の研究領域においても「来歴論」は一つのキーワードなのではないかと感じました。

結城先生

まとめ:

2日目の結城先生の講義では、「社会心理の多様性を捉えよ」「社会心理の多様性の原因を説明せよ」という2つのテーマでお話いただきました。

午前の部では、「欧米の社会心理学で生まれ、広く受け入れられてきた集団行動の理論は、他の文化的文脈でも通用するのか?」というリサーチクエスチョンのもと、集団主義と個人主義、社会的アイデンティティー理論などの集団行動に関する理論が、東アジア人の行動をどのように説明しうるのかを検討した研究が紹介されました。従来の集団行動に関する理論が内向集団の量的な文化差のみに着目していたのに対して、結城先生は、北米における集団間比較志向と、東アジアにおける集団内関係志向という、集団過程の質的な文化差に着目した研究を発表されました。

その後のディスカッションでは、下條先生から、文化心理学を専門とする結城先生と北山先生に対して「文化差をどのように定義するべきか」という問いが投げかけられました。文化的な傾向とされる反応がどの程度自動的に発生するものなのか、文化差は環境と脳のどちらにあるのか、文化における臨界期とはいつなのかといった鋭い指摘がなされ、白熱した議論が交わされました。

午後の部では、人間の行動・心理と、人間が集団で作り上げる社会環境との相互影響を解明することを目的とした「社会生態学心理学アプローチ」についてお話いただきました。その事例として、名誉の文化、稲作文化と麦作文化、農村・漁村・都市の対人関係などの研究が紹介されました。また、社会生態学的変数の1つであり、ある社会環境、または社会状況に存在する、対人関係や所属集団の選択の自由度を表す関係流動性が取り上げられ、それによって対人関係にどのような文化差が生じるのかのメカニズムについて発表されました。

2日目最後のディスカッションでは、引き続き主に下條先生から文化心理学全体に対する鋭い指摘がなされ、その問題提起のもとに議論が行われました。社会生態学的心理学ではなく比較文化心理学なのではないか、関係流動性はどのグループレベルで測るべきなのかといった議論から、文化心理学において因果関係をどのように探るべきなのかといった文化心理学全体に関わるマクロな議論で盛り上がりました。

感想:

文化心理学以外の専門である下條先生から、文化心理学全体に対する鋭い問題提起がいくつもあり、それに対して文化心理学の第一線で活躍される結城先生と北山先生の意見を聞けたことがとても興味深かったです。また、3日間を通して「来歴」がキーワードになったと北山先生もおっしゃっていましたが、社会生態学心理学アプローチは文化差はどこから来たのか、文化の来歴を考えるにあたって重要だと感じました。今後は、文化的傾向の差が量的に比較し検討するだけではなく、その来歴、脳機能との関わり、因果関係などを含めより質的に深く文化差についての検討をしていきたいと思いました。

北山先生

まとめ:

 最終日の北山先生の講義は、2日間の議論を継承する形で、「文化とは集合的意味と慣習と心理プロセスの複合体であり、それぞれの文化が数千年にも及ぶ進化・歴史的『来歴』をもつ」、というテーマからスタートしました。午前の部では、文化ごとの『来歴』に注目して、アラブ、ラテン、南アジア、東アジアの4つの文化の異なる協調性を説明しようとする講義がなされ、午後の部では、人類の遺伝子から心理の文化差を解き明かそうとする立場から、数万年のスパンにまで視座を広げ、「文化ごとの行動様式の学習における遺伝子の役割」に関する講義がなされました。

午前の部では、従来の文化心理学で研究が重ねられてきた比較軸である「西洋と東アジア」から視野を広げ、ラテン、南アジア、アラブ文化についてもその『来歴』が検討され、「西洋文化以外はいずれの文化も相互協調的である」との命題が提示されつつも、その協調性は文化ごとの『来歴』により異なるのだ、という結論が共有されました。個別具体的には、東アジア的協調性は稲作、アラブ的協調性は砂漠での生存と遊牧、ラテン的協調性は言語・人種的多様性、南アジア的協調性は交易および思惟と議論の宗教的伝統にその『来歴』が見出されるとの検討がなされました。

また、上記4つの文化がそれぞれに1万年にわたって独自に培われてきた『来歴』を有する一方で、アメリカ文化に代表される近代西洋文化は実はここ1000年で出現したものであり、その背後には「自己の独立」という他の文化には見られない独自のアイデアがある、という重要な指摘もなされました。そして、西洋文化が非西洋から文化をとりいれつつ発展してきたという点は見逃すことのできない要素であり、それゆえ、洋の東西を問わず見受けられる行動様式であっても、「自己の独立」という他の文化と本質的に異なるアイデアに組み込まれる形で非西洋から西洋に形式的に輸入された行動様式と、1万年の『来歴』のすえに確立された行動様式では、その奥にある目的は全くもって異なるのだ、という見地が共有されました。 

午後の部では、人の文明は「約束された報酬」にしばしば基づく、という前提に立ち、報酬の処理と予測を行うドーパミンに着目した研究に関する講義が行われました。人類の進化に伴う報酬処理の遺伝的効率化(=強化学習)は、文化に固有の心理傾向の獲得と深く結びついていることを示唆する研究が共有されました。心理傾向の獲得という事象は、ADHDをはじめとする現代の問題を考えるうえでも鍵となりうるもので、今後の研究の発展に期待がもたれる内容でした。午後の部は全体を通して人類史のスケールで心理学に迫る巨視的なものでしたが、一方では人間の脳の可塑性研究といったミクロな事象にまで深く切り込んだ講義であり、絶え間なく視点を切り替えて考えを深めていく刺激的なものとなりました。

感想:

 数万年の人類史と脳研究というマクロとミクロの視点が絶え間なく切り替わる講義が大変刺激的でした。近代西洋と東アジアの比較軸を飛び出て他の世界にも視野が広げられ、今後の文化心理学の発展に期待をもつことができました。

 全体としては、下條先生の提起する「逆応用科学」の視点が強く意識される場となっていたと思います。常に、この問いは実社会といかに関連するのか、という意識が強く現れ出ていたと感じます。

また、DRD4についての講義は心理学のインタラクションのあり方として受講者の視点を広げるものであったと感じました。歴史学、神経科学にも親しむ大切さを学ぶことができました。