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日本人の用材観の変遷を追う ~文化財の科学的調査・絵画・書籍による総合知~
2024.11.21
プロジェクト代表者:
田鶴 寿弥子(京都大学・生存圏研究所・講師)
プロジェクト紹介
人の心を様々な形で支えてきた木をめぐる信仰、それらの世界観を表現するため制作された美術品や芸術品に込められた、日本人と木との向き合い方の軌跡を、複眼的な視点で見つめる研究を進めている。日本人と木との向き合い方の軌跡そのものは、一つの弧や線に集約することはないであろうが、ネガティブ・ケイパビリティという言葉で表現されることもある、不確かさや曖昧さを受け入れて性急に答えを急がない能力でもって、過去の人々と自然との関係性に寄り添い、じっくりと時間をかけて声を聴く研究を行うことは、人と木との歩みを理解するために必要なアプローチの一つとなると考えている。本研究では、木を軸に、文化財の科学調査・人文学・民俗学・美術史・宗教学といった様々な方面からアプローチを行い、トランスディシプリナリティの視座による、日本の10–13世紀における人と木との軌跡の一端を見つめた。
これまで仏像をはじめとした木彫像に使用されている樹種の調査とデータの蓄積を進めてきているが、木彫像の樹種は、当時の信仰の対象であった仏像や神像に使用された木の用材観を紐解く上で意味を持つ。東京国立博物館や森林総合研究所などの研究で、8世紀ころにはカヤによる一木彫像が制作されたことが判明している。その後ヒノキや広葉樹へと樹種が広がりをみせることが明らかになりつつある。申請者らは10~13世紀頃と思われる時期に西日本で制作されたと考えられ、その後世界中に散逸した木彫像の一群にモクレン属が使用されていることを見出した。またこれと同じグループに属すると考えられる木彫像が今年度も複数見つかり、継続して科学的調査にあたっているところである。日本で当該時期に制作されたと考えられている木彫像の科学調査は、決して多いとは言えないが、モクレン属が使用されていたという事例は、これまであまり明らかにはなってきておらず非常に重要な知見であるといえる。当時の人と木の関係を紐解く上で、非常に興味を引く事例であった。また神像にも仏像にも同樹種が使用された事例を複数解明しており、今後も継続した研究を進めていく。
この10–13世紀頃という時期、日本は激しい気候変動、疫病、自然災害などにより、社会全体が疲弊していたといわれている。不安定な中、神や仏へと拠り所を求めたと考えられる社会情勢にあって、当時の中国から、神や祭祀のとらえ方において変化をもたらす護国経典「仁王経」が伝わったことは日本になんらかの影響があったと考えられる。この仁王経により、国の安定化にむけて古来の神々が守護神として存在意義を高めたとも考えられている。つまり改めて日本古来の文化や和様が強く浸透した時期ともいえよう。こういった時代背景の中で、木彫像に使用されるにいたった樹種、そして仏典・絵画・古典・習俗などをはじめとした当時の文化的側面には、人と木の向き合い方の一端、すなわち木に向き合う上での独自の和様哲学が隠されているのではないかと考えている。ささやかではあるが、当時の習俗において、様々な樹種がどのような意味をもっていたのかについて継続して研究をすすめており、さらなる深化につとめている。人と木との歩みをめぐる総合知の獲得にむけて、今後も科学と人文学の交差による研究を行っていく。