森義治 株式会社もり代表取締役社長
2024.10.10
人と社会の未来研究院が人文科学研究の立場から、さまざまな人に社会連携インタビューをしている「この方に聴きました」企画。今回は、京都府亀岡市に自社農園を持つ京漬物の株式会社もり様を訪問し、森義治代表取締役社長に、2019年に申請された産学連携の商品、また伝統食品の京漬物をめぐる背景と、これからの漬物に関するビジョン、京都大学や人文社会科学に期待することについてお話を伺いました。
(取材・ライティング:圓城新子/企画・監修:広井良典・熊谷誠慈)
森義治(もり よしはる) 株式会社もり代表取締役社長
1963年京都府生まれ。大学卒業後、家業を継ぐべく同社に入社。2001年より2代目社長に就任し、亀岡自社農園での京野菜を使用した京漬物をはじめ、伝統ある京漬物の製造技法を伝承しながら、時代に寄り添う新商品も多数考案。近年では、京都初 産学連携により漬物を機能性表示食品として登録した、「森の恵み」GABAシリーズを製造販売する。伝統食である京漬物の新たな可能性に向けて挑戦している。
小田耕平(おだ こうへい)
1944年広島県生まれ。67年大阪府立大学農学部卒業、69年同大学大学院農学研究科修士課程修了(農芸化学専攻)。75年農学博士(大阪府立大学)。69年大阪府立大学農学部農芸化学科助手、78年同講師、86年同助教授、92年京都工芸繊維大学繊維学部教授、06年同大学大学院工芸科学研究科教授、07年同大学名誉教授。専門は応用微生物学で、微生物由来のプロテアーゼ(タンパク質分解酵素)や、環境汚染で注目されているプラスチック(飲料用PETボトル)分解などの研究を手掛けた。それらの研究成果を3編の総説にまとめBiochemistry誌に発表(2023年:1篇、2024年:2編)。
京つけもの もり とは
圓城:「京つけもの もり」の屋号で知られる株式会社もりは、現在、京都で3つの自社工場を生産拠点にしながら、京都を中心に取扱店1店と、14店舗の直営店を構え、漬物を販売しておられます。その2代目を担われる森義治社長に、まずは京都の漬物業界について、創業からの思いなどを交えてお聞かせいただきたいと思います。
森:創業は1962年、私の父、森春生が京都市右京区の西大路綾小路東に、小さな漬物店を営んだのが始まりです。6年後、太秦大映通りに本店を移転し、1975年に株式会社もりを設立しました。当時は時代劇が盛んで、東映太秦撮影所にも近い本店は人通りも多く、商店街もあって栄えていました。創業以来、主なお客様は近隣住民で、京都の地元に根ざした漬物を作って販売していますが、当社の独自性を追求する中で、地元に根ざすことは年々際立ち、業界内での大きな特徴となってきました。1989年に京都府亀岡市千歳町に約1500坪から始めた自社農場は、今では6千坪に広がりました。在来種の京野菜を復活させたりしながら、少しずつでも京都で育った野菜を漬物にして、地元で販売することを心がけています。
京都の漬物業界は戦後大きく成長する中で、京都人が「日々の食卓で食す」漬物から、「土産物」としての漬物へ特化する風潮がありました。空港や駅、百貨店、最近では地方の量販店でも京漬物は購入できます。観光都市京都において、商売の繁栄を考えると当然のことなのかもしれませんが、主となるお客を誰にするかは重要な選択です。新商品の開発への目線もそのことで大きく変わります。当社では、店頭にその時期に獲れる野菜のぬか漬を樽ごと常設し、ぬかから取り出して販売しています。これは、昔からそうしてきたように、地域に住む皆さんの日常の食事で、旬野菜の漬物を健康的に食べてほしいという思いからです。
産学連携で誕生した、機能性表示食品「森の恵み」GABAシリーズ
圓城:貴社は、京都の漬物業界では先駆けて優秀な乳酸菌を見出し、ぬか漬け「森の恵み」GABAシリーズを機能性表示食品として登録し、製造販売されています。その経緯をお聞かせください。
森:始まりは、千枚漬に対する金融機関の助言からでした。すぐき漬、しば漬と並び、京都の三大漬物の一つである千枚漬は、聖護院かぶらを薄く切り、昆布と漬け込んだ漬物で、通常11月頃から漬け込みが始まり、京都の正月にはよく食されます。しかし、他の漬物に比べ日持ちがしないという難点があり、もう少し賞味期限を延長できるよう研究機関に相談してみてはどうかと地元の金融機関に勧められ、京都工芸繊維大学名誉教授で微生物研究をされていた小田耕平先生を紹介していただきました。小田先生はペットボトルを分解する細菌を発見されたということで、微生物の専門家として知られておられます。2004年に私は初めて研究室を訪ねて、千枚漬の賞味期限延長についてご相談しました。小田先生は、千枚漬発祥の背景を考えると、日持ちがしないことは一つの文化であり、京漬物における希少価値として温存すべきではないか、という考えを話されました。確かに、千枚漬は江戸時代後期、御所に仕える料理人が、長期保存を目的としない新しい漬物として考案したと伝えられています。砂糖が貴重だった時代にめずらしく甘味がある漬物で、その繊細な味わいは、京都人をはじめ多くの人に好まれ、今日まで製造技術もそのままに受け継がれています。私は、千枚漬の文化的側面を考慮して、改良せずむしろ温存すべき、という小田先生の考えに大変感銘を受けました。また、先生のご出身である広島県のご実家ではぬか床もあったとお聞きし、漬物への親しみを持たれていることから、私が日頃から感じていた漬物の課題についても相談しました。
古来より、伝統食品として食されている漬物ですが、塩分が多い食品というイメージがあります。昔の漬物と比較すると、現代の漬物の塩分は約半分くらい減塩になっているのですが、悪いイメージは消えず、漬物は、医者がよく塩分を控える際に除外する食品の一つとして挙げられます。これは、私だけでなく漬物業界全体の悩みでもあります。一方で、漬物には野菜の発酵食品という健康的な側面があります。私は常々、なんとか科学の力でその健康的な側面を明確にできないか、という思いを持っていました。小田先生はその思いに賛同してくださったのです。
そこで、当社の漬物製造工場に、まずはどんな乳酸菌があるのか採取していただくことになりました。その結果、当社の漬物工場にはたくさんの乳酸菌があり、中でも生理活性物質の一つであるGABA(γ-アミノ酪酸)を、大量に生成させる能力がある乳酸菌が存在することがわかりました。近年、ぬか漬などにも含まれるGABAは、利尿作用や血圧が下がる、精神が安定するという効能があることで、注目を集めています。既に京都府と機能性素材開発企業が共同で、GABAを大量に生成する乳酸菌の特許を取得しており、それと同等の優秀な乳酸菌が当社の漬物工場にあったことから、当社でも特許申請をすることにし、2018年に特許を取得しました。そして翌年に、その優秀な乳酸菌を使ったぬか漬を、機能性表示食品として販売したのが、当社のぬか漬「森の恵み」GABAシリーズです。このぬか漬はGABAを多く含んでおり、食すと血圧が高めな方でも安心して食べていただける機能、たとえば血圧を下げるなどの機能がある商品だと表示することが可能になりました。その機能表示に至るまで約10年間、小田先生の研究室、京都中小企業技術センターとともに、ラットなどを使った独自の実験を重ねてきました。この機能性表示食品がきっかけで、GABAを含んだ普通のぬか漬を適量食べることで、血圧が下がったり、精神が安定したりすることが証明できたことは、京都だけでなく漬物業界全体においても画期的なことだと思います。(届出番号:大根漬 D638 胡瓜漬 D639 人参漬 D640 茄子漬 D641 南瓜漬 D642)
SDGsの視点から見る伝統食、文化継承
圓城:塩分が多い食品と敬遠されている漬物が科学の力を使うと、食すと血圧が高めな方に適した食品になった。古来から、漬物を食してきた日本の文化、習慣と関係があるようにも思えて、大変興味深いです。
森:昔から、日本のとりわけ田舎では、訪問時にお茶と漬物をお茶菓子のように出してもらうことがあります。これはもしかしたら、食べてほっこりと一息つくというような、ぬか漬に含まれるGABA成分の効能を生活体験の中で感じていたのかもしれませんね。GABAは、もともと米糠、茄子科の野菜などにも多く含まれている自然界の物質です。そのGABAが、発酵食品のぬか漬で摂取できるのです。そもそも、日光と土と水という自然の恵みの中で生まれた野菜を、同じく自然の恵みである米糠に漬け込み、乳酸菌発酵させることでぬか漬はできます。そこにGABAが宿り、それが人間にとって良い効能をもたらしてくれるということが科学の力でわかった。GABAの量こそさまざまですが、弊社の商品に関わらず、何も添加していない漬物を適度に食すことが、健康的な生活につながるという側面もある、と認められたのです。
圓城:森社長は、京都あるいは日本の漬物文化を継承する立場として、常々持たれていた疑問や課題の一つを、科学の力で解決されました。ある意味これは、文理が融合して社会に貢献したお話に思えます。その観点から、人文科学の分野に対して今後どのような期待をされますか。
森:昨今、SDGsが叫ばれています。当社の新入社員をはじめ多くの若い人たちも、さまざまな視点から持続可能な世界について教育機関で学ばれているようです。その知識を持って、たとえば漬物をはじめとする伝統食を見ると、今までにはない考えや発想が生まれてくると思います。他にも、ある種の文化として捉えられ、人々が継承してきたものには、人や暮らし、社会にとって大事な理由となるものがあるのかもしれません。先入観を取り払い、新たな視座で多様な伝統文化に注目してほしいです。そして、科学と共同して知らなかった有益な情報を明らかにできれば、それは素晴らしいことだと思います。