連携研究プロジェクト

自己身体知覚における感情と身体内部感覚の影響

2024.09.06

プロジェクト代表者:
蘆田 宏(京都大学大学院文学研究科・教授)

連携研究員・共同研究員:
・Achille Pasqualotto(筑波大学人間系・准教授)
・金野 純卓(京都大学大学院文学研究科・修士課程2年)

プロジェクト紹介

 社会的なウェルビーイングの基本的な要素の一つが個人の自己肯定感(自尊心)です。デジタル技術と情報ネットワークが発展し、自己のあり方そのものが変容しうる今、あらためて自己とはなにか、基礎心理学的な視点で捉え直す必要があるでしょう。自己を支える二つの重要な要素が「身体所有感」(sense of body ownership)と「行為主体感」(sense of agency)です。どちらもオンライン世界では明確でないため問題が生じうるように思われますが、そもそも、現実世界でも堅固ではない面があります。道具使用や身体の一部を失うような場合もあるので、自己の境界に柔軟性が必要なのかもしれません。

 本研究で用いた「ラバーハンド錯覚」(rubber hand illusion)は、目の前に置かれたゴムの手と隠された実験参加者の手を同時に筆などで触ることを繰り返していると、ゴムの手が自分の手であるように感じられるという錯覚で、身体所有感を実験的に操作できる点で重用されてきました。もう一つのキーワードが「内受容感覚」(interoception)です。これは触覚のように外から刺激される外受容感覚、筋肉や関節の感覚で体位や運動を感じる固有受容感覚と区別される体の内部の感覚で、心拍や呼吸、胃腸の感覚などを含みます。激しい怒りを「はらわたが煮えくり返る」と表現するように、内受容感覚は感情の知覚と強く結びついています。本研究は、感情状態が身体所有感覚に影響しうるという私たちの研究結果(Kaneno & Ashida, 2023)を発展させ、自己と感情、身体の関係をより深く理解することを目的としました。本年度の研究では、より直接的に知覚しうる内受容感覚に重点を置き、ラバーハンド錯覚とその修正版との関係を実験的に検討しました。二つの実験を並行して実施してきましたが、本年度の成果として報告できるのはそのうち一つで、もう一つは継続して成果を目指しています。

 自己受容感覚が鋭い人は、ラバーハンド錯覚に惑わされにくい、つまり自己受容感覚の精度とラバーハンド錯覚は負の相関を示すという報告があります(Tsakiris et al, 2011)。しかし、多くの後の研究はこの結果を再現できていません。一つの問題は、ラバーハンド錯覚では手を動かさないため、自己を支えるもう一つの要素である行為主体感が低いということです。自分の体の一部かどうかを決める上で、自分の意思で動かせるかというのは大きなポイントでしょう。そのためラバーハンド錯覚に行為主体感を加えた修正版が、自分の指の動きによってゴムの手の指を動かす、動的ラバーハンド錯覚です(Kalckert & Ehrsson, 2012)。

 本研究では、心拍を数える課題によって内受容感覚精度を、質問紙BPQ-BA-BSF日本語版(小林ら, 2021)によって内受容感覚感度を測定した後、古典的または動的なラバーハンド錯覚を調べる実験を各20名に対して行いました。その結果、(1) 古典的ラバーハンド錯覚における身体所有感は内受容感覚精度、感度ともに相関しない、(2) 動的ラバーハンド錯覚における身体所有感は内受容感覚感度の影響を受ける、(3) 動的ラバーハンド錯覚における行為主体感と身体所有感は相関するが、行為主体感は内受容感覚精度の影響のみを受ける、などの知見が得られました。(1)はTsakirisらではなく後の研究を支持するもので、(2)(3)は本研究における新たな発見です。

 以上のように、ラバーハンド錯覚を介して内受容感覚と身体所有感および行為主体感の複雑な関係の一端がわかりました。もう一つの研究では、身体的運動により内受容感覚への意識を高めた場合にラバーハンド錯覚がどう影響されるかを調べています。本年度は実験環境の整備と予備的調査を終え、2024年度も継続して実験を行っています。

引用文献
Kalckert, A. & Ehrsson, H. H. (2012). Front Hum Neurosci, 6, 40. doi:10.3389/fnhum.2012.00040
Kaneno, Y. & Ashida, H. (2023). Front Hum Neurosci, 17, 976290. doi: 10.3389/fnhum.2023.976290
小林亮太 他 (2021). 感情心理学研究 28(2), 38-48.
Tsakiris, M., Tajadura-Jimenez, A., & Costantini, M. (2011). Proc Biol Sci, 278(1717), 2470-2476. doi:10.1098/rspb.2010.2547