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【教員紹介】人と社会の根源的な研究——はじまりは、若き日の悩みから(広井良典教授)

2024.08.02

原問題は中2と高3

 私の研究の原点は、中学2年生と高校3年生の時に遡ります。誰にでもその人の出発点になるような、原問題と呼べるものがあるかと思いますが、私はその2つの時期に問題を抱えていました。

 私が育ったのは岡山市の商店街で、家は化粧品や文具、少しの衣料があるよろずやのような店を営んでいました。母や祖母が特に忙しく商いをしている風景を見ながら、小学生の頃はもっぱら遊んで過ごしていたのですが、中学生になって初めて、成績や順位、そして偏差値という言葉と出会い、いろいろと考えさせられるようになりました。当時の私にはまるで、得体の知れない上昇するエスカレーターに乗らされているように思え、強い違和感を感じたのです。さらにいえば、身近で働く私の親も含め、日本社会は先を急ぐように坂道を登ることを余儀なくされているけれど、その先には本当に幸せが待っているのだろうか。エスカレーターの先にはいったい何があり、みんなは果たして何を目指しているのか。それがわからなかったのです。一般的にいう「中二病」に似たようなもので、思春期の私にとって、これが最初の大きな問題でした。その問題をそのまま持ち越して高校3年生になり、今度は大学受験に直面します。自分は敷かれたレールの上にただ乗っかり、その道を歩んでいていいのだろうか。さらに考えていくと、そもそも物事の判断や選択に迷ったとき、善悪の基準を最終的にどこに求めたらいいのだろうと悩みました。それを突き詰めると、そもそも自分がこうやって生きて世界を認識しているのは、いったいどういうことなのか。中2の時よりも段々と根源的なテーマに関心が向かい、「価値」とか「認識」といった問題を考えるようになりました。その結論が出ないまま大学に入り、私はこの問いを大学で考えることにしました。法学部進学コースにいったん入学したのですが、こうした哲学的な話題ばかりを考えていたこともあり、3年になる時に「科学史・科学哲学」という分野に転部しました。哲学研究会という小さなサークルの活動もしていたのですが、結果的に、大学3年生の終わりの春休み、本当にささやかながら自分なりの「時間論」というものをまとめ、私の中ではっきりさせるべき原理的な問いについては一旦決着をつけることができました。あとは、現実の社会で自分がどう生きていくかということに向き合えばいい。しかし具体的にどのような仕事をしていくかの結論は出ていなかったので、私はとりあえず大学院の修士課程にいくことにしました。

 前後しますが、当時の大学には「セツルメント」という、イギリスが起源の、広い意味での福祉的活動をしているサークルがあり、私はそこに参加しました。そこではケースワークという部門で、たとえば生活保護を受けて暮らす家族などとじっくり関わる機会を得ました。そうした活動をする中で、こういうミクロな個別支援は重要だけれど、もっと大きく社会全体のあり方を変えなければ、根本的な問題解決にはならないのではないか。そう思うようになり、修士課程修了後は厚生省(現厚生労働省)に10年間勤め、医療や福祉、社会保障の政策に関する仕事に関わりました。

 これらの仕事にはやりがいを感じましたが、やはり人間や社会に関わる根源的なテーマをもっと堀り下げたいという思いがあり、官庁での仕事のかたわら、本や論文を執筆するという、いわゆる「二足の草鞋」を履く生活をしばらく続けることになります。人事院の制度で行った2年間のアメリカ留学をへて、『アメリカの医療政策と日本——科学・文化・経済のインターフェイス』(勁草書房)など医療政策や科学技術に関する本などを出したりする中で、やがて千葉大学のほうから声がかかり、迷うことなく大学に移ることにしました。それ以降は基本的に自分の好きなテーマに関する研究や活動を進めてこれたので幸いだったと言え、また縁あって2016年に京都大学こころの未来研究センターに来ることができましたが、この流れの延長で現在の「人と社会の未来研究院」での研究活動に至ります。

「持続可能な福祉社会」と「死生観」、「コミュニティ」

 

 人間とはそもそもどういう生き物なのかという「人間についての探究」と、どういう社会が望ましいのかという「社会に関する構想」。この2つを架橋することが私の基本的な関心事です。その源は、私が思春期に抱いた先ほどのような疑問であり、それがすべての出発点で、導きの糸になっています。研究を進めるうちに、私のテーマの柱は「定常型社会」あるいは「持続可能な福祉社会」というこれからの社会の構想や、そこでの価値そして死生観を軸とするものになっていきました。

 私は基本的に、「環境と福祉と経済」のバランスがとれた社会が望ましいと考えています。アメリカやその影響を強く受けている日本は、いささか経済一辺倒のように思え、もっと環境や福祉に配慮してこそ経済もうまく回っていくと考えています。これはつまり「持続可能な福祉社会」を目指すということです。幸いなことに、最近はSDGsも叫ばれるようになり、そういう方向への関心が高まっており、時代の潮目が大きく変わりつつあることを感じています。持続可能とはいわゆる環境の問題で、つまり人間の経済活動の総量が、資源や環境の有限性との関係で持続可能なのかを考えねばなりません。一方、持続可能ならすべて解決というわけではなく、環境の問題と並んで、富の分配の公平・平等を考える必要があり、すなわち福祉の問題が同じく重要です。その両方を合わせて考えていくという発想から行き着いたのが「持続可能な福祉社会」という社会像です。これについては、2001年に公刊した『定常型社会——新しい「豊かさ」の構想』(岩波新書)において、理論的にある程度の基本をまとめることができました。またそれと並行して、やはり同年に出した『死生観を問いなおす』(ちくま新書)では、高齢化社会という背景も含めて死そのものをどうとらえるべきかを考察しました。人間が生きて死ぬということが、宇宙や生命全体の流れの中で、どのような位置にあり、どのような意味をもっているのか。死に対する考え方が個人の幸福とどのように関連しているのかを、先ほどふれた大学時代の「時間論」の延長でまとめています。こうした原理的なテーマに関する研究をへて、私の関心は一方で人類史などの大きなスケールで持続可能性の意味をとらえ返す方向に向かうと同時に、コミュニティや地域再生など、より具体的な話題に広がっていきました。

 たとえば、自動車中心の道路開発のもと、大型ショッピングモールが生活の主軸にあるアメリカと、地方都市であっても中心市街地が小さな店で賑わい、商店街が持続するヨーロッパ。それぞれを訪れて痛感したこれらの違いが、持続可能な社会の構築に向けた、新しいコミュニティモデルを考える上で非常に重要と思うようになりました。そういった流れで、最近では私にとっての原風景でもある「商店街」のありようも研究テーマとして取り上げるようになり、商店街という場所のもつ新たな可能性を『商店街の復権――歩いて楽しめるコミュニティ空間』(ちくま新書)という共著にまとめ今年2月に刊行したところです。

 またコミュニティに関する例として、もう一つ注目しているのが「鎮守の森」です。鎮守の森は日本の神社に付随して存在する森で、明治の初めには20万ヶ所もあり、当時の地域コミュニティの数とほぼ一致していました。現在でも、日本の神社仏閣は約8万ヶ所あり、これは私たちの身近にあるコンビニエンスストアの総数、約6万ヶ所よりも多いのです。古くから親しまれてきた鎮守の森を紐解くと、地域コミュニティと自然、信仰がひとつになった場所であることがわかってきます。その意義を再発見・再評価していくことで、自然エネルギーや地域再生、心身の癒しなど、現代社会のさまざまな問題の解決や、伝統に根ざしながら新しいものを創造することへつながるのではないかと思い、その可能性を探る社会実装や調査研究を「鎮守の森コミュニティ・プロジェクト」という形で進めています。御関心ある方は「鎮守の森コミュニティ研究所」のホームぺージをご覧いただければ幸いです。

若者が希望を持てる未来に向けて

 昭和の時代、Japan as NO.1と言われるほど日本経済は急速に成長しました。当時は物資的にも不足している面がたくさんあったので、GDPを大きくしていくことがそのまま人々の幸せにつながるような時代でした。しかし、社会が成熟してきた今、経済だけではなく価値軸を多元的に見て未来の社会を構想することが必要です。いつまでも昭和的な考えで、経済成長がすべての問題を解決してくれると思っていてはいけません。

 持続可能性という言葉の一番基本的な意味は、将来世代のことを考えるということです。これは、持続可能性というコンセプトを初めて明確な形で世界に提起した、国連の「環境と開発に関する世界委員会」(ブルントラント委員会)で、ノルウェーの首相を務めた女性のグロ・ハーレム・ブルントラント氏が出した報告書、「Our Common Future(我ら共有の未来)」(1987年)の中で主張されていることです。

 現在日本では、1千兆円を超える政府の借金が、将来世代や若い世代にツケとして回されています。また、高齢化で医療・介護・年金など社会保障にかかる費用は年間約140兆円です。それだけ費用がいるのに、それに必要な税金・社会保険料の話をすると多くの人々は反対し、その結果、その差額がすべて将来世代に先送りされているのです。国際比較をした若い世代へのアンケートでも、自分の国や社会の未来に希望が持てるかという問いに、持てないと答える若者が日本はダントツに多い。加えて、「親ガチャ」などといった言葉が広まっているように、生まれた環境によって人生が決まってしまうという感覚が若い世代の中で浸透してきている。これは持続可能な福祉社会を考える上で、日本が非常に危機的な状況になっているということです。

 人と社会の未来研究院は「人・社会・地球のwell-being」というコンセプトを掲げています。ここでお話してきたような持続可能な福祉社会というビジョン、そして具体的な政策を提案して社会実装し、実現に向けて動くことが、人と社会の未来研究院のミッションとしてきわめて重要であると私は思っています。


(取材・文 圓城新子)