Vol. 2 大西千晶氏(日本農業株式会社代表取締役 兼 株式会社プリローダ代表取締役)前編

人と社会の未来研究院に所属する広井良典教授は、環境・まちづくり・地域再生等に関する政策研究をおこない、大学外部の様々な取り組みと連携しつつ、「持続可能な福祉社会」という構想を広く発信しています。今回の社会連携インタビュー「この方に聴きました」では亀岡市を訪問し、本研究院の「社会的共通資本と未来寄付研究部門」のセミナー(本年5月)にも登壇いただいた大西千晶氏ら日本農業株式会社の方々と、亀岡市長の桂川孝裕氏から環境と農業に関するビジョンと活動、そして京都大学や人文社会科学に期待することについてお話を伺いました。

前編は、大西千晶氏へのインタビューです。

(聞き手:広井良典教授、沼田英治特定教授/撮影:藤川二葉/構成:一色大悟)

大西千晶(おおにし・ちあき)

日本農業株式会社代表取締役 兼 株式会社プリローダ代表取締役

神戸大学発達科学部(現・国際人間科学部)在学中に環境保全型農業に注目し起業。現在は、農業生産のみならず加工・販売を一貫して手掛ける、有機栽培野菜製品「たんとスープ」事業を展開している。2023年7月にはイタリアで開催された国連食料システムサミットのストックテイク会合で講演し、日本における農業の生産力向上と持続性の両立に関する実践例を報告した。

日本農業株式会社とは?

広井:大西さんは日本農業株式会社を創業されましたが、この会社ではどのような事業を行っておられるのでしょうか。設立の経緯も含め、お話しください。

大西:日本農業株式会社は、有機農産物の製造・加工・販売や、農福連携事業、農業関連イベント、コンサルティングなどを行う会社です。農業、しかもその中でもマイノリティである有機農業を主軸として選択して事業を開始した理由は、そこに循環型経済、つまり足るを知る経済の根本があると感じたためでした。土1グラムの中に100億個以上の微生物が含まれており、それなしに食糧を生産することはできません。ただ、土を放置したままで野菜ができるというものではなく、人間が仕事として種をまき、育てることも必要となります。つまり農業は人間と自然との共存、共生を実感できるものであり、循環型経済、つまり足るを知る経済の根本があると考えました。そこでまず、2010年に株式会社プリローダを設立して、農業を始めたわけです。

ですが、有機農業からスタートしたことは、苦労の始まりでもありました(笑)。そもそも日本全体で、野菜を作って販売するだけでは農家が立ち行かないという問題が起こっています。私たちが農業を始めてから現在までの十年余りの中でも、農業従事者は100万人以上減っていて、2040年には35万人まで減少すると予想されています。ですので、生産した野菜をそのまま流通させるのではなく、第6次産業をしようと考えました。6次産業というのは、農業生産という1次産業のみを手がけるのではなく、商品への加工という2次産業、販売という3次産業までを一貫しておこなうことで農業の可能性を引き出そうという発想であり、1×2×3=6という相乗作業が得らえるのでそう呼ばれています(農林水産省HP)。

つまり、農産物を製品に加工してブランディングしようと考えたのですが、弊社はそれまで農業のプロフェッショナルを目指していましたので、加工の経験がありませんでした。そうしたところ、起業当初から理念に共感し、事業を応援していただいていたフクシマガリレイ株式会社という冷凍冷蔵機器メーカーの上場企業があるのですが、そちらのテストキッチンで商品開発をしては、というお声がけをいただきました。そこに自分たちの野菜を持ち込んで、コールドプレスジュースやスープなどのテストをさせていただいて、2019年に有機野菜のベジブロスを目玉にした「たんとスープ」というブランドを立ち上げることができました。現在、京都と大阪に3店舗を展開しています。

広井:このスープ事業の特徴は何ですか?

大西:生産した有機野菜が、余さずスープになるというところですね。たとえば、人気メニューのクラムチャウダーであっても、野菜、夏ならばナスやズッキーニ、冬ならカブやダイコンというように、製造している時期にできた野菜を使用しています。通常の食品の企画ならば、使用する野菜の仕入れ時期と量を決めてゆくのですが、有機農業ではそれが難しい。むしろ余さずスープにするというところが、6次産業に向いていると考えました。 ですが2019年にブランドをおこしてから、間もなく新型コロナウイルス感染症が流行してしまいました。メディアに取り上げていただいたり百貨店に出店したりもしたのですが、先が読めない状態になっていました。そんななか、大日本印刷さんに声をかけていただきまして、「たんとスープ」ブランドによる店頭販売・通信販売用の商品を開発することになりました。これもフクシマガリレイさんのテストキッチンで、1年ほどかけて電子レンジでの加熱試験や落下試験などを続けまして、2022年6月にようやく完成したところです。現在は百貨店の商品カタログやウェブ、スーパーなどを販路として展開しています。その後はさらに、弊社のブランドだけではなく、他の大手食品メーカーから商品開発の依頼が届くようになりました。現在では、こういったOEMの依頼も受託しています。

大西千晶氏

有機野菜の6次産業が目指すもの

広井:日本農業株式会社の事業の、中長期的な目的は何でしょうか。事業のビジョンをお聞かせください。

大西:もちろん弊社では、スープを開発し、ブランドづくりして、販路を広げているのですが、それ自体が最終的な目的ではありません。むしろその事業の中で農業への関心を広め、就農者を増加させて、次世代に農地を残すことを目的としています。先ほど申し上げましたように、コロナは確かに我々の事業にとって苦労ももたらしたのですが、この最終目的に照らせば追い風になったとも言えます。なぜなら、コロナを経て、食の安全性や自然環境などへの関心が世界中で高まったからです。たとえば現在、農林水産省は脱炭素社会を志向するという背景のもと、2050年までに国内の農業の25パーセントを有機農業にすることを計画しています。我々がこの有機農業を始めた10年あまり前は、有機農業はマイノリティで、事業化への道も支援なく自力で切り開かなければならなかったことを顧みますと、この間に大きな転換期が訪れたように思います。

就農者を増やすというビジョンのもと、現在は月1回、農業体験を受け入れています。これまでに弊社で初めて農業を体験された方の中から、就農された方は10名誕生しました。もちろん就農のしかたは様々でして、副業として農業をされている方、週末や早朝だけに農業をしているという方もいらっしゃいます。このように、みなが専業従事者になるというのではなくとも、農と地域の価値に気づくよう、きっかけ作りをしてゆきたいですね。このような多様な就農が可能であるという点で、関西には地の利があります。関西には過疎化で放置されている農地が多々ありますが、その近郊には大手企業も所在しています。ですので大手企業に勤務しつつ、農業関係人口になってゆくという道がありうるのではないでしょうか。これからは我々の事業の内部だけではなく、地域と連携して農の価値を最大化できる仕組みを作ることも進めてゆきたいです。

環境と農業への関心と会社設立の経緯

沼田:若くして農業で起業された、というのはかなり珍しいケースのように思います。どのような背景と農業にかける思いのもと、その道に進まれたのですか。

大西:私は、いわゆる「ゆとり世代」に含まれます。私たちが小学校に入ったころ、教育内容に環境や貧困の問題が追加されるようになっていました。そのころに環境などに関する2050年問題という言葉が現われていたのですが、自分の人生に2050年を当てはめてみてその問題を現実のものとして実感したことを憶えています。むしろ子供を持った今のほうが、より切実なものとして受け止めていますし、いま私が高校に講演にゆくとより関心が高まっているように感じます。ともかくも、未来への憂いをそのころから持つようになりました。ただ当時は、行動というところまでは結びついていませんでした。

この未来への憂いをもとに行動するようになったのは、大学に入ってからです。大学生としてある程度の行動が自由にできるようになりましたし、大学で社会活動をしている先輩たちと知り合い、自分でもボランティアを始めました。当時は、イベントを開催してその収益を寄付する活動をしていましたが、この方法では活動が社会に浸透し継続性を持つようにならず、環境や貧困の問題が根本的には解決されないと感じていました。

ちょうどそのころに、農業に出会いました。大阪から1時間程度で行ける農業地帯が過疎地域になっていることに衝撃を受ける一方で、農業だったら単なる経済発展だけを追求するのではない可能性があると直感するところがありました。というのは、農業には文化があり、さらには食を自分たちで作るという根本的な強さがあるためです。そこで、農業ができる環境を次世代に残したいという思いから、農業にのめり込んでゆきました。実家が農業をしているわけではありませんでしたから、最初はボランティアから始め、大学在学中に起業しました。最初の農地は亀岡の本当に小さいところで、自分の背丈ほどの雑草が生えている状態を開墾するところからスタートしました。

広井:環境問題に取り組み、行動をするということは、一人ではできないものです。在学中からそれが可能であったのは、どのような要因があったからですか。

大西:それは、自分一人の考えで突っ走ったのではなく、いろいろな人との出会いがあったからでしょう。たとえば農業体験も、一緒にボランティアをしていた先輩に誘われて参加しましたし、また農地についても、最初は小さいところを使わせてもらっていましたが、まじめに1年間農業に取り組んだことを見込まれて別のところを紹介してもらったということもありました。事業を続けていると常に課題に行き当たるのですが、そのたびに出会いがあったおかげで、最初の理念が続いているという感じです。今日、同席している梶広二郎さん(日本農業株式会社取締役)と出会ったのも、その一つです。

梶:私の実家のお寺では、尼僧である母が農業体験を通した青空説法をしていました。借りた農地に参加者が種を植え、野菜を育てる経験をするのですが、そこで母は、育った命をまた奪って自分たちの命に変えているのだから、その奪った命に対して責任を持った生き方をしなければならない、という話をするのです。そこに参加していた関西の学生200人ほどのなかに、大西さんがいました。

彼女はそのころ18歳でしたが、すでに雑誌を創刊してその代表をしていました。また思いを人に伝えるイベントとして、環境負荷をかけない素材でファッションショーを企画し、1000人規模で成功させてもいました。それには当然資金も必要ですから、スポンサーにも掛け合って巻き込んでいたわけです。こうして、彼女は巻き込む力の素養をつちかったのでしょう。

大西千晶氏(左)と梶広二郎氏(右)

大学と人文社会科学に期待すること

広井:私は大西さんと2,3年連絡を取り、研究の上で参考にしております。逆に大西さんは、京都大学、あるいは人文社会科学との連携にどのような期待を持っているのでしょうか。

大西:私は、社会起業家、いわばプレイヤーとして10年以上活動してきました。その活動を通して地方にこそ課題が山積していると認識していますので、その解決のために社会起業家が地方により多く現れることを願っています。ですが、資本主義経済だけを土俵とすると、やはり東京都で起業したほうが資金調達の面でも、ほかの面でも有利になります。ですので現在は東京で起業するという道筋があるのですが、これでは地方の問題の解決にはなかなか至りません。この現状において、人文社会科学は異なった価値観があることを提示することができると考えています。たとえば、広井先生が提示された定常化社会(経済成長を絶対的な目標とせずとも豊かさが実現されてゆく社会)という概念があります。このような社会を目指して、現実の経済の中でどのように実践すべきか、と考えることで、資本主義とは異なった価値観のもと、東京以外の地方で起業しようとする人が出てくるのではないでしょうか。この意味で、人文社会科学との連携が大切だと考えています。広井先生とは、著書の『ポスト資本主義 科学・人間・社会の未来』(岩波新書、2015)を読んだことがきっかけでお手紙をお送りして以来、何度かお会いして意見交換し、刺激をいただいています。

広井:大学の側からも、やはり現実の活動との連携が重要だと思っています。私の専門が含まれる社会科学系ではいわゆる象牙の塔にこもっていては研究に限界がありますから、社会における実践との連携があってはじめて理論的研究も鍛えられてゆくでしょう。理論と実践とは相互にフィードバックを受けながら進んでゆくものだと思いますから、今後も大西さんとは連携してゆきたいと考えています。

大西:大学生とのコラボレーションも、これからは進めてゆきたいです。もちろん講義、インターン受入れ、農業体験などの依頼をいただいたことはありますが、共同してプロジェクトを実施することまでは出来ていません。ですが、次世代であるZ世代の若者と肩を並べ、食やサステナビリティなどについて意見をしあえるようになってゆかねばならない、と考えています。